越後では「雪国の夜語り」と呼ばれて語り継がれてきた昔話。
このビデオは伝承者といわれる越後の老婆たちが語る方言にいろどられたその語り口調、所作、語り形式などを、風土や風俗、民俗行事などとのかかわりあいのなかでとらえ、伝承に忠実に再現し記録したものである。
収録した昔話は三話。収録25分
@日本でも分布がまれな話「みそ買橋」(完全収録)
A日本的な話「山伏ときつね」(一部収録)
B世界的な分布をもつ話「馬と犬と猫とにわとりの旅」(切り絵アニメ)
「フォルテレイン ウェブサイト PartU−映像制作関係のご案内−」より
http://fortelane.com/magma.aspx
制作・著作/BSN新潟放送・昭和50年(2部構成の内、長岡編)
長岡ごぜの旅路のドキュメンタリー映画。収録24分
「長岡市周辺。高田瞽女が旅に出なくなり瞽女の仕事をすでに終えていた頃、まだこの地方では現役の瞽女さんがいた。長岡瞽女の中静ミサオさん、金子セキさんと手引きの関矢ハナさんの3人だった。目の見える関谷さんを先導に、2人の瞽女さんが前の人の荷物や肩に指をそえて3人が連なって歩く。そして民家の入り口に着くと玄関を開け、関矢さんが開口一番「ごめんなしょー」と入っていく。中から家人が出てくると2人の瞽女さんは三味線を弾き、門付け唄を歌い始める。」
「そんな時代もとうとう終わる。昭和52年4月25日に新潟県北蒲原郡黒川村の養護盲老人ホーム「胎内やすらぎの家」に入ることを金子セキさんが決める。さらに同じ年の6月22日、同ホームに入ることを中静ミサオさんも決心し、長岡瞽女、ひいては日本の瞽女の活動は370年以上の伝統をもってこの年に終わった。」
悠山隊(yuzantai)ホームページ「瞽女(ごぜ)さん」より一部抜粋
http://yuzantai.jp/essay/goze/gozeframe.htm
出演:石永清・横山孝弘(司会:鈴木昭英)
出演者プロフィール
■横山 孝弘(よこやま たかひろ)
昭和3年生まれ。
ラジオ新潟(現・新潟放送)入社。BSN新潟放送テレビ制作部長、テレビ局長などを歴任。
BSN新潟放送「ごめんなんしょ瞽女の旅路」(昭和50年)、BSN新潟放送「越後瞽女・小林ハルと竹下玲子」(昭和55年日本民間放送連盟賞最優秀)、他。
瞽女文化を顕彰する会理事。にいがた文化村さかいわ代表。
現在、東京スカイツリー開業記念事業、墨田区1万人のファミリーウォーク(来年3月開催)準備に従事。
■石永 清(いしなが きよし)
昭和9年生まれ。
記録映画制作会社(株)育映社に入社。後、フリーカメラマンとして独立し、ニュース取材・記録映画の撮影に従事。昭和36年テレビコマーシャル制作会社(株)TCC制作部長として入社。昭和43年独立して(株)マグマクリエイションを設立し、現在に至る。
昭和49年度芸術祭参加作品・自主制作映画「雪国の夜語り」−演出・プロデュース、他。
現在、(株)マグマクリエイション代表。
■鈴木 昭英(すずき しょうえい)・司会
昭和7年生まれ。
大谷大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪市立博物館学芸員、長岡市立科学博物館長、長岡市郷土史料館長を歴任。長岡市文化財保護審議委員。博士(文学)。
現在、瞽女唄ネットワーク会長、瞽女文化を顕彰する会理事、日本宗教民俗学会顧問、日本山岳修験学会理事、民俗芸能学会評議員、新潟県民俗学会理事など。
長岡は昔話の宝庫である。東山連峰を背後に、日本一の大河信濃川に面した長岡は、多くの昔話の集積地でもあった。ここには、昔話収集家故水沢謙一氏の功績が大きい。氏は勤めの傍ら長岡の各地の語り部を訪ね歩いて100話、200話を語る話者を発掘した。文字を知らない山奥の語り婆さんの語る昔話が遠くドイツのグリム童話と共通していると水沢は言う。世界に共通する昔話から長岡独自の話は見つけにくい。長岡が雪国であるからその風土にふさわしい昔話が多いかといわれると必ずしもそうとは言えない。その中でももっともポピュラーな「猿婿」、雪国らしい「笠地蔵」、 農家の茅葺屋根に似合う「ふるやのもり」、寺泊野積の伝説「八百比丘尼」を取り上げてみた。
・「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)」(倉地祐子)
弥彦神社の祭神天香山命が寺泊の野積に上陸したとき、お祝いに出された人魚の肉を食べた十七歳の娘は、いつまでも年を取らなかった。三十九回も連れ合いを変えるが、それでも死なず世の無常を感じて、諸国巡礼の旅に出て、若狭の国空引寺で、念仏三昧の日々を過ごすが、八百歳にもなっても死ねず、それを苦にし自ら命を絶ってしまう。
・「笠地蔵」(安部昌江)
正月が来るというのに、貧しい老夫婦には御馳走を買いに行くおカネがない。作っていた笠を町に売りに行って御馳走を買おうとおじいさんが町に出かけるが、峠の途中に雪を被った地蔵様が寒そうにしているので、遂に売るつもりだった笠を被せてそのまま家に帰ってしまう。その夜中大勢の人声がして、二人は恐ろしさに震えていたが、翌朝家の座敷に御馳走が山のようになっていた。
・「猿婿(さるむこ)」(鈴木百合子)
山の畑に草取りに行ったおじいさんが、余りの辛さにこの草を取ってくれたものに娘を嫁にやってもよいがと独り言をいう。それを聞いていた猿がたちまち草取りをして娘を嫁に迎えに行くと約束してしまう。猿との約束を気にした爺さんは病気になってしまう。3人の娘の内、末娘が猿の嫁になる事を承知して嫁入りするが、里帰りの途中に土産に持っていた餅だったが…
・「ふるやのもり」(高野フミ)
秋の夜、爺さんと婆さんがこの世で一番怖いものは何かと話している。婆さんは狼が怖いというが、爺さんは「ふるやのもり」が一番怖いという。それを屋根裏で聞いていた狼は「ふるやのもり」に恐れをなす。たまたま盗みに入った泥棒が馬と間違えて狼の背中に乗ってしまう。狼はそれを恐ろしい「ふるやのもり」と勘違いしてしまい、森中の動物を集めて猿に退治を命じるが…、ふるやのもりは「古屋の漏り」のことだった。
≪出演者≫ 長岡民話の会
・「佐倉宗五郎 子別れの段」(室橋光枝)
上総の国佐倉宗五郎は重税にあえいでいる農民の代表として税の軽減を殿さまに頼むが聞き入れてくれない。已むなく将軍に直訴するが、そのころ直訴はご法度、死罪を免れない。その上、累は妻子に及ぶ。宗五郎は、夜分、ひそかに家に帰って妻に離縁状をわたし、子どもに最後の別れをする。
・「正月祝口説」(金川真美子)
正月巡業のめでたい門付け唄。関東の養蚕地帯では年夜の晩に「お棚」を作り、蚕の種紙を飾り祭る。二十日正月に「お棚払い」をするが、この期問に瞽女が訪れると家の中に招き入れ、この祝いロ説を歌ってもらい、豊穣を祈った。別名「お棚ロ説」とも…。
・「鴨緑江節」(横川恵子)
中国と北朝鮮国境を流れる川。大正時代そこにでかせぎにいった紀州の筏乗りが唄い出した歌。瞽女節で唄う。
≪出演者≫ 越後瞽女唄・葛の葉会
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