「長岡瞽女」は、かつて中越地方一帯から下越地方の南部にかけて、分散、居住していた瞽女の仲間集団です。組織の本部支配所が長岡にあったので、そのように呼ばれていました。明治の中ごろには、400人以上の瞽女がおり、日本最大の瞽女集団を形成しました。
瞽女唄ネットワークは、瞽女唄公演活動のほかに、主に「瞽女唄ネットワーク通信」紙上で瞽女や瞽女唄についての記事を掲載し、これらの知識普及に努めてきました。
今後は、このホームページでも広く地方文化の普及発展の一助として多くの資料を発信してまいります。
主な内容
・鈴木昭英氏(当会会長)の瞽女論文一覧
・瞽女(ごぜ)入門
最後の瞽女といわれる小林ハルさんは、平成17年105歳でなくなりました。幼少のうちに両親と死別し、瞽女の世界にはいり、娘盛りの頃長岡瞽女の師匠につき、長岡大工町の瞽女屋に出入して7年、瞽女頭山本ごいの指導を受け、立派な瞽女唄の歌い手となりました。やがて弟子を持ち、中・下越地方から会津、米沢への旅を続けました。70余歳で、瞽女を廃業しましたが、昭和53年に文化庁より無形文化財の指定を受けました。そののち、真正な瞽女が生まれない社会情勢を見て、竹下玲子など一般の女性に瞽女唄を教えたことは、大きな功績でした。この竹下玲子について学んだのが「葛の葉会」のメンバーです。こうして、小林ハル−竹下玲子−葛の葉会と長岡瞽女唄は伝承され続けています。
主な内容
・小林ハル年譜
・野嵜久次氏(小林ハル瞽女唄保存会会長)所蔵資料
葛の葉会の前身は、平成7年9月瞽女唄伝承者竹下玲子を師匠として、長岡瞽女ゆかりの長岡市草生津町唯敬寺で始まった瞽女唄教室です。
発足当初は、まだ幼稚園年長組だった佐々木理恵さんも含めて8人でした。平成11年瞽女唄教室が師匠の都合で閉講した時、大人4人、子供たち2人が残りました。その年の9月、新生の越後瞽女唄葛の葉会が発足したのです。室橋光枝さん、須藤鈴子さん、横川恵子さん、金子真由さんといった大人はいずれも40代の人達でした。今まで師匠の指導の元で稽古をしてきた人達が、自分達で工夫して稽古を続けました。瞽女唄ネットワークはこの会を側面から支え、多くの発表の場を作る事に努力してきました。いや、瞽女唄ネットワークはこの人達の熱意に動かされて活動してきたとも言えます。この人達の活動への熱意がなかったら瞽女唄活動はこれほど動けなかったことでしょう。小林ハルさんの孫弟子「葛の葉会」の活動がますます元気になることを期待して止みません。
主な内容
・葛の葉会の瞽女唄一覧
・越後瞽女唄葛の葉会のメンバー
かつての長岡は「芸の町」として、その文化を全国に発信していました。ところがいまでは残念なことに、越後瞽女最大の組織の本拠地が長岡にあったということさえ、すっかり忘れられています。
その長岡瞽女の祭が、守り本尊の弁財天を祀る「妙音講」でした。この日、旅回りをしていた瞽女たちは全員、家元の山本ゴイの住む「瞽女屋敷」に集まる掟となっていました。明治時代にはその数四百名を数え、「瞽女市」がたつほどの賑わいだったと伝えられています。しかし、昭和20年の長岡大空襲で瞽女屋敷が焼かれてから半世紀、この祭は長らく途絶えていました。
「瞽女唄ネットワーク」の手で、この伝統の祭をおよそ50年ぶりに復活させることができました。そして今年も、この伝統の祭「妙音講」を催します。唯教寺本堂を会場として、「越後瞽女唄葛の葉会」のみなさんや「瞽女唄ネットワーク」会員が参列します。
当日は、唯教寺ご住職によって「瞽女式目」の朗誦が行われます。「瞽女式目」は瞽女のはじまりを説き、瞽女仲間の掟を述べた文書です。さらに、「越後瞽女唄葛の葉会」のみなさん(総勢4名)が瞽女唄を奉納いたします。
郷土の文化に新たな関心を呼び覚ます行事として、長岡の町に瞽女の祭をふたたび定着させたいと考えております。
主な内容
・妙音講(みょうおんこう)とは?
・唯敬寺(えいきょうじ)と瞽女