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野嵜久次氏が所蔵する瞽女関係資料の一部を公開します。

野嵜久次氏所蔵資料data


野嵜久次三条瞽女唄ネットワーク代表の野嵜久次さんは、「ばあちゃん、元気かや。」と三条弁で気軽に会話を交わす間柄で、胎内やすらぎの家で生活していた小林ハルさんと家族同様のお付き合いをされ、ハルさんの心の支えになってこられた方です。また、「小林ハル瞽女唄保存会」会長として、文筆・公演活動や瞽女唄の保存・普及にも尽力されました。
平成27年4月25日逝去。追悼文(須藤鈴子)

公開所蔵資料一覧

「歴史の散歩道」第3集
より →「越後瞽女道・
瞽女唄を訪ねて
」へ
野嵜久次さんご推薦の随想です。平成21年、新潟県糸魚川市猿倉と早川温泉郷で聞いた瞽女や瞽女唄についての聞き取りの要点記録や参加された瞽女関連のイベント情報などが語られています。著者は山井秀榮さんです。(※概要紹介のみ)
「小林ハルの栞」
 →「小林ハルの栞」へ
この「栞」により、多くの方が三条市名誉市民・小林ハルさんの足跡を辿り、瞽女の業績を振り返ることによって、かつての視覚障碍者の生きるという試練に思いを新たにしていただければ幸いです。
「瞽女口説地震の身の上」
(原文と読み下し)
 →「地震の身の上」へ
文政11年の三条地震は、死者、家屋の倒壊、山崩れなど甚大な被害をもたらしました。この瞽女口説はこの大地震の災害に際し、社会、世相の頽廃ぶりを揶揄、批判したものです。野嵜久次氏所蔵。

 

野嵜久次氏紹介

小林ハル瞽女唄保存会会長 野嵜久次

■プロフィール

野嵜久次 大正14(1925)年、三条市に生まれる。
昭和45(1970)年ころ、出湯温泉在住の小林ハルさんと出会う。三条市に呼び返すよう奔走したが、生家との確執が深く頓挫する。
昭和52(1977)年、小林ハルさんの「胎内やすらぎの家」入所を機会に瞽女唄の収録や越後瞽女に関する調査研究、記録資料の収集に努める傍ら、平成5(1993)年「小林ハル瞽女唄保存会」を設け、瞽女唄の普及と顕彰運動に精を出す。
野嵜久次さんと小林ハルさん小林ハルさんの晩年の10年程は、夫婦で入所先を足繁く訪れ、身寄り無き同女の唯一の支えとなった。葬儀には生前からの約束事により喪主役をつとめる。
毎年、祥月命日に当たる4月25日には、胎内市黒川「長谷寺」を訪れ、法要を行う。小林ハル瞽女唄保存会会長。
平成27(2015)年4月25日逝去。

■顕彰運動の実跡

  • 平成12(2000)年1月24日、長年瞽女唄の伝承・普及に努めた功績と
     高潔な人格に敬意を表し、併せて長寿を賀すとしての特別表彰(100歳)
  • 平成13(2001)年9月6日、三条市名誉市民に決定(101歳)
  • 平成17(2005)年8月22日、小林ハルさんの遺贈物品譲渡に尽力
     (現在、三条市歴史民俗産業資料館に常設展示)

  • ■三条市歴史民俗産業資料館展示物

  • 無形文化財選択の証     昭和53(1978)年3月26日
  • 黄綬褒章          昭和54(1979)年4月29日
  • 三条市名誉市民の証と金盃  平成13(2001)年9月6日
  • 吉川英治文化賞と時計    平成14(2002)年4月11日
  • 愛用の三味線 小林ハル手形色紙
  • 手形

  • ■記載と編集など

  • 郷土記録誌 ふるさと三条
       第15号 越後瞽女唄資料(一)
       第16号 越後瞽女唄資料(二)
  • 小林ハル瞽女唄集CD
  • 「ハルばあちゃんのお話」紙芝居とDVD(まちづくりサポート交付金)

  • ■マスメディアとの関連

  • 燕三条エフエムより「小林ハル瞽女唄の世界」を毎週放送
     (平成14(2002)年〜)
  • 日本テレビ「知ってるつもり」の放送にあたり、出演者の紹介や資料提供、
     撮影現場の案内等に当たる。(平成13(2001)年1月28日〉
  • 日本テレビ「おもいっきりイイTV−今日は何の日」の放送にあたり、
     資料提供、出演者の紹介などを行う。(平成20(2008)年4月25日)
  • 「三条市名誉市民 小林ハルさんとの出会いふれあい」より


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