野嵜久次氏紹介 昭和52(1977)年、小林ハルさんの「胎内やすらぎの家」入所を機会に瞽女唄の収録や越後瞽女に関する調査研究、記録資料の収集に努める傍ら、平成5(1993)年「小林ハル瞽女唄保存会」を設け、瞽女唄の普及と顕彰運動に尽力する。野嵜さんご夫妻の長年の念願が実り、平成13(2001)年9月6日、小林ハルさん三条市名誉市民となる(101歳)。平成27年4月25日逝去。 |
四月二十五日、土曜日の午後「父が亡くなった」と長男の久雄さんからお知らせをいただきました。三日前に、三条市済生会病院へお見舞いに伺ったばかりでした。その日、病室を覗くと、ご家族はおられませんでしたが、お世話されている方の姿があり、野嵜さんは静かにベッドの上で眠っておられました。声もかけずに退室し、帰宅してすぐに室橋さんに「仏様のような顔で眠っていられたよ」「そう当分は大丈夫だね」と電話で話していた矢先のことでした。急な悲報に驚くと同時にあることに気付き、鳥肌の立つ思いがしました。
四月二十五日は十年前に亡くなった小林ハルさんの御命日でした。ハルさんと奇しくも同じ日に天の国へと旅立たれるとは、お二人にはどれほどのご縁があったのでしようか?
長年奥様と二人で胎内のやすらぎの家に通い、ハルさんと親交を深め、親子のような絆で結ばれていました。ハルさんが三条市の名誉市民になられたのも、野嵜さんが長い間三条市に働きかけた成果でした。また「瞽女唄教室」や「小林ハル瞽女唄保存会」も立ち上げてこられました。
その他にも様々な分野で活躍されておられましたが、その間に何度も入退院を繰り返され、晩年には体の痛みと日々闘っておられる状態でした。そんな中、昨年の秋に三条市で開催されたハルさんのイベントで、国定市長さんが、開会挨拶の中で「来年からは毎年ハルさんのイベントを市の行事として行います」と話されたのです。これを聞いた野嵜さんは、長年の苦労が実ったと思われたのでしよう。大変喜んでおられました。
今年の一月に室橋さんと二人で野嵜さんのご自宅に伺った時には、楽しくお話される中で「何だかこのまま百歳、いや百二十歳くらいまで生きられるような気がするんだよ」と目を輝かせておられた姿が忘れられません。本当に残念です。もう少し御一緒に野嵜さんが言われていた「三条市を瞽女唄が聞こえる町に」するために活躍して頂きたかった…」と思うばかりです。
野嵜さんの奥様が「ハルばあちゃんに呼ばれたんだねー」と話しておられましたが、私もそう思います。ハルさんと野嵜さん…二人で楽しくお話されているのでしようか? どんなお話していますか? そのうちに私も仲間に入れてくださいね。
これからもお二人に天の国から見守って頂きながら瞽女唄がたくさんの人に愛されるよう精進してゆきたいと思っております。
野嵜久次さん、ありがとうございました。 合掌