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官民一体となった活動

ネットワーク前史kiroku


竹下玲子と小林ハルとの共演

官民一体となった活動

小国町(おぐにまち)は、新潟県の中南部に位置していた刈羽郡の町。2005年4月1日に周辺の町村とともに長岡市に編入合併した。
面積 86.15km平米
総人口 6,961人(推計人口、2005年3月1日)

「「小国芸術村」現地友の会入会のお誘い」には、
小国町位置地図 「小国芸術村」現地友の会は、昭和六十二年四月、「小国芸術村」運動の支援と、都会と村との交流、独自の文化活動を目ざして設立され」ると目的が明記され、昭和六十二年度の会員数は、百二十名とある。
 また、小国町が定めた「小国町における文化芸術活動の推進及び都市等との交流を活発化することにより、町民のイメージを向上させ、もって地域の活性化と住民福祉の増進に寄与するため」(第一条)とする、「小国芸術村条例」を設置していることにも触れている。
 まさに、官民一体となった文化活動であったことが知れる。
「小国芸術村」現地友の会入会のお誘いより)
 設立当初の小国芸術村運営委員会の役員構成は、会長・西山三郎(小国芸術村会員)、副会長・山崎正治(現地友の会)。そして、事務局は役場企画課内に設置されている。


「三十五年前、小国町が誕生した時[1956年]、この町の人口は、一万五千人であった。そして今[1990年]、八千六百人に減った。」と、『地方からの発信』あとがきにある。
「三十五年前にくらべて、村のくらしは確実によくなった。子供たちの服装も、さっぱりしていて、尻につぎのあたっていたズボンをはいているような子は見あたらない。週末になると、町のファミリーレストランでタ食をとる家族にも会う。それにともなって、大人も子どもも、めっぽう忙しくなった。会社に勤める人たちの帰宅は、夜九時、十時という人も少なくない。村の中で、子どもの遊ぶ姿も見えなくなった。青年団活動で、毎晩倶楽部に集まった若者たちは、どこにいったのか。同じ地域に住みつつも、顔をあわせる機会は少ない。村は、今や帰って寝るだけの場所になってしまった。(中略)この地に、「自然と子どもを愛する」をモットーに「小国芸術村」が誕生して、六年目になる。このいきさつは、本文を読んでいただければわかるであろう。「小国芸術村」の文化運動が町民に与えた影響は、大きかった。今まで古くさいものとして捨て去られていた「村の文化」にスポットをあてて、そのネットワークをつくって、町の文化を包囲しようとする。その主張は新鮮で、強烈であった。他の人[都会から来た客人=マレビト]に教えられて、「村の文化」の価値に気づいた。地元では、この主張を支援してゆくために、「小国芸術村現地友の会」を結成した。翌年、地域文化誌「へんなか」を創刊した。この本が出版されるころには、第6号が出回っているであろう。「小国和紙」「ごぜの旅」「渋海川」「子供の遊び・童唄」「民俗芸能巫子爺[ミコジ、メッコンジサともいう]」「小国の昔話」と、毎号特集を組んで「村の文化」に照明をあててきた。」P.220-221(『地方からの発信』「あとがきにかえて」)
 この発想は、「瞽女唄ネットワーク」と同じである。瞽女唄を守り、伝えていこうとする志向の根幹は既に小国の地に胚胎していた。都市化の波(あるいは資本主義の浸透)という大きな地殻変動に伴ってぐさぐさになってしまった地方文化に、支柱を打ち込んで、放っておけば確実に失われる貴重な文化を守ろうとする気骨がこのあとがきのタイトルにある。執筆者の一人であり編集も行った高橋実は"命の糧の「村の文化」"と題したのである。([ ]内は、引用者補記。)

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