「小国芸術村は、切り絵作家で前進座劇場元支配人の西山三郎さん、放送作家の若林一郎さんの二人がさる五十九年[1984年]、小国町山野田に伝わる小国和紙の取材に訪れて地元の文化にほれ込んだのを契機に、空き家を購入してアトリエに改装するなど創作活動の場としたことからスタート。」「「自然と子供を愛する」をモットーに、中央からの文化の受け売りを排してあくまでも「地元の文化に学ぶ」視点で新しい文化創(づく)りの拠点に、との趣旨に、過疎からの脱却を模索する小国町も全面的にバックアップ、地元の人たちによる「小国芸術村現地友の会」を組織する」こととなる。(以上、「読売新聞」昭和62年3月16日付記事より引用。[ ]内は、引用者補記。)
ここに「小国芸術村」の機関誌「へんなか」の表題紙の下に毎号掲げられている巻頭言ともいえる設立趣意書を紹介したい。高雅で柔らかな口調の中に、「村の文化」への凛とした思いに貫かれた名文である。筆者は、小国芸術村現地友の会事務局長、高橋実。
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よみがえれ村の文化
「へんなか」は、いろりを意味する小国の方言です。「火の中」が訛ったものでしょうか。
へんなかは、かつての村の生活の中心でした。煤けた大きな自在鉤に吊るされた鍋からは、白い湯気が噴きあがり、灰の中では、[あんぶ](焼餅)が焼かれ、火棚には、藁靴が干され、子供や猫までも、[へのわた](炉辺)に集まっていました。外からやってきた、瞽女さんや薬屋さんも、客座に招じて、遠い知らない世間の話を聞かせてもらいました。雪国の文化は、この[へのわた]から生まれ、受け継がれてきたのです。
この過疎の町小国町に、都会の、型にはまった文化に飽きた人たちが、次々と訪れて、地域の文化の大切さを教えてくれました。地域の文化の掘り起こしこそ、地域づくりの原点であることを、おくればせながら、ようやく私たちは気づきはじめました。
家の中から、[へんなか]が消えて久しいけれど、この[へのわた]に街からの客人を招いて、「ひろがってあたってくんなせぇ」(体を楽にしてくつろいで火に当たって下さい)といって、[ぼよ](柴)を火中に投げ人れ、熱い茶を差し出し、われらの知らない遠い地の話をきかせてもらいましょう。古くさいといって捨て去ったわれらの文化に、この地だけしかない独自のものがあったことを、都会からやってきた客人に教えられたのです。この人たちと心うちわって語りあい、この地に住む者の喜びをかみしめていこうではありませんか。
文化の再発掘こそ、地域をよみがえらせる原動力です。さあ、もっと[へんなか]に[ぼよ]をくべて下さい。もっと、われらの話が弾むように。
註:「よみがえれ村の文化」は、第六号から。それまでは「よみがえれ地域文化」
あんぶ以下の[ ]内は、原文では圏点が付されている。なお、圏点は創刊号には無い。