直接「ネットワーク前史」と関係は無いかもしれないが、元々瞽女は長岡市とは縁が深く、お年の召した方の多くは子どもの頃、親に言われて門付けに廻ってきた瞽女に米を渡したり後について歩いたりという経験を持っておられるようだ。そして、瞽女唄ネットワークが誕生する20年以前あたりに全国的な瞽女ブームがあり、このあたりでいわば種蒔きがなされているとも考えられる。その辺の事情を少し見てみたい。
平成23年9月23日に長岡市文化振興財団が主催し、長岡リリックホールで開催された「越後長岡 語りの世界」の第一部 映像で振り返る「語りの世界」の「制作の思い出を語る」と題した鼎談の中で、横山孝弘氏(元BSN新潟放送テレビ局長で瞽女文化を顕彰する会理事)が「『歴史を旅する』の女性シリーズで「盲目の旅芸人・越後瞽女さ」を取り上げ、TBS系で全国放送しました。民放ではこれがきっかけになって一種の瞽女ブームになりました。昭和48、49、50年の3年間あたりがピークでやりました。」と回顧するこの瞽女ブームの中で、長岡市民劇場も第75回例会「越後ごぜ日記」(文化座)を昭和49年に上演しているのである。
恐らく、水上勉原作、篠田正浩監督映画 『はなれ瞽女おりん』(昭和52年)をご覧になっての感想と思われるが、長岡で発行されている市民文芸誌『Penac No.3』(昭和53年7月22日発行)に、佐藤千代子氏が「越後瞽女物語」と題して短歌を掲載しているので紹介しよう。
越後瞽女物語 佐藤 千代子
久々にグランド劇場に映画みぬ雪深き越後の瞽女物語り
越後なる盲ひの女の瞽女となり門に三味弾き今日も暮れ行く
前の人の肩に手をおき連れ立ちて越後の瞽女は吹雪く道行く
初潮みし少女の瞽女は雪の上を紅に染みつつ歩きつづけり
盲ひなれど目醒めし性は男等のまなざし感じほほえみかへす
越後なる瞽女の掟に背きたる妊(みご)もる女の一人さすらふ
三味のみに頼りきれずに転々と男と寝たる離れ瞽女おりん
唇に針触れ針穴をさぐりあて盲の乙女は糸を通せり
手さぐりに衣縫ふ盲ひの乙女等に春の日射しのやはらかくさす
吹雪去り盲ひの人の知る春は黒き土の香和めく光
この映画 『はなれ瞽女おりん』が初上映された年で、門付け瞽女の旅に終止符が打たれる。
「瞽女門付けの最後を飾ったのは、長岡瞽女の金子セキさん・中静ミサオさん、手引きの関谷ハナさんの三人組であるが、それは昭和52年の春旅をもって終わった。これで、日本の門付け瞽女の実働の姿を見ることに終止符が打たれたのである。」(P.2)『越後瞽女ものがたり 盲目旅芸人の実像』鈴木 昭英/著「まえがき」より。
そして、偶然にもこの年の11月7日が「ネットワーク前史」の開幕初日となるのである。