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新潟県刈羽郡小国町二本柳の古老・竹部タミさんの昔話についての随想です。

小国の昔話 第一部/語り継ぐ data


私の昔話

竹部 タミ

炉辺での昔語り昔話のことを、「ムカシ」とよんでいました。もうずいぶん語ったことがないので、すっかり忘れていました。語り出しは、「とんと昔」といわず、「ムカシあったげろ」といいました。聞くこどもは「さあーす」とあいつちを打っています。おわりは「イキがすぽーんとさけた」といっています。
今知っている昔話は、猿の聟の話です。爺さんが猿から粟の草取りを手伝ってもらい、娘のひとりを嫁にやる約束をしてしまうのです。妹娘が爺さんのたのみを聞いて嫁にゆき、知恵を働かせて帰ってきてしまう話です。
二つめの話は、鳥をのんだ爺さんが、腹の中の羽根をひっぱると、
「あやちゅうちゅう、こやちゅうちゅう、にしきさらさら、五葉の杯、びんびらびんのび」といい声で歌って、人気者になる話です。
三つめの話は、うさぎとふくどん(ひきがえる)の話です。二人で餅をついて、山の上から、もちのはいった臼を転がし、早くもちを見つけたものがひとりで餅をくっていいことに約束したのです。猿は、一番早く臼に追いつくのですが、餅は、途中にころがり出て、木のまたにひっかかり、それをあとからきたふくが、自分ひとりでたべる話です。
ほかに「ももたろう」や「かちかち山」の話も知っていますが、本に出ているものとすじは、あまりかわっていません。
昔話は、小さい時、母親から聞かせてもらいました。母親に添い寝してもらい、ねせつけてもらうとき、よく「じゃ、ムカシいってきかせる」といって語ってもらいました。 私は、明治三十六年二月生れで、猿橋で生まれました。八人兄妹の一番姉でした。尋常小学校を卒えるとき「女に勉強をさせるのはよくない」といって、祖父が、高等科へやらせてくれませんでした。家にいるときは、「ねんねん」とよばれ、家の中の仕事専門で、田んぼへ出ることはありませんでした。紡績工場の募集人の人が、工場にいかないかときたのですが、祖父が、「姉を外へ出すわけにはいかない」といって、とうとう工場にはいぎませんでした。三人の同級生が猿橋にいましたが、一人だけ紡績工場にいきました。
十六の時から、新町のいんきょの家に、お針を習いにいきました。お針を教えてくれた人は、一度桐沢に嫁いで、わけあって家にもどってきた人でした。十八の年まで通いました。十九の年に、二本柳に嫁に来ました。この家の隣りが親戚で、その人の紹介でした。
嫁にくると、田んぼへ出て、あぜぬり、ひっくりかえしなど、何でもやらせられました。実家へもどってつらさを訴えると、「そんげにおごっだけや家へ戻って来い」と父親にいわれましたが、家に戻らず、がんばりました。冬は、昼間、たわらあみ、なわない、ぞうりつくりといった藁仕事で、夜は、姑のやる苧績みの手伝いでした。新町の市助の人が、縮糸を扱っていて、この人が百匁ずつまるめた糸をもってきました。これを口にくわえて、爪でさき、つないでゆくものです。百匁績んで一円五十銭になりました。そのころ、盆、正月の小遣いは、五十銭でした。
子供九人も生んで、そのうち二人が死にました。悲しかったのは、息子が四十二歳で、交通事故のため死んだことです。
もう八十八も越えて、昔のことはみんな忘れてしまい、こんな話をするのは恥しいことです。

(たけべたみ・小国町二本柳、一九〇三年生れ ※写真とは関係ありません。)


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