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いま、なぜ「瞽女さ」なのか

ネットワーク前史kiroku


竹下玲子と小林ハルとの共演

いま、なぜ「瞽女さ」なのか

 5月16日に掲載の「始末記」の二回目で触れられていたように、鈴木昭英―若林一郎―竹下玲子という一連の企画はもとをただせば、『はなれ瞽女おりん』というお芝居の背景を深く知ることによってもっと楽しもうよという発想から出発した企画だった。だが、この単純な発想が、若林一郎と竹下玲子の瞽女唄、そしてその瞽女唄をバックアップしたいという強い想いを持つ鈴木昭英・瞽女研究家を会長としてもつ瞽女唄ネットワークという組織に展開していくところが面白い。両者を結びつけたのは、いうまでもなく市民劇場委員長・鈴木紘一であり、小国芸術村友の会事務局長・高橋実であるが、それを発展させたのは、県下各地で「瞽女唄を守り育てよう」という気持ちを一つにする多くの仲間たちであった。そして、これらの企画を県下隅々まで伝えてくれた新聞社各社の働きがあったことも忘れてはならない。「瞽女唄ネットワーク」の幕開けは近い。

 いま、なぜ「瞽女さ」なのか−「瞽女シリーズ」を企画して(鈴木紘一)

 市民の演劇鑑賞会、長岡市民劇場では、六月三、四日(金、土)に、有馬稲子、松山政路主演の『はなれ瞽女おりん』(水上勉作、木村光一演出、地人会)を、例会としてとりあげる。それに先だち、越後瞽女の世界を広く知ろうと、一連の催しを企画した。
 その第一弾として、五月六日には長岡科学博物館長、鈴木昭英さんから「瞽女の修業と生活−長岡瞽女を中心に−』という講演をいただき、好評であった。次回は五月十三日(金)、放送作家で小国芸術村のメンバー、若林一郎さんの講演『瞽女唄−地方発信の文化を求めて−』(中央公民館四〇一教室、午後七時、無料)、そして五月二十一日(土)、瞽女唄のただ一人の後継伝承者、竹下玲子さんの『瞽女唄リサイタル』(中央公民館大ホール、会員券七百円)と続く。
 ところで私たちがこの企画をし、地方各マスコミで報じられるや(本紙四月二十三日既報)、「いまなぜ瞽女なの?」、「瞽女ってなに?」、「竹下さんて瞽女さ?」という問い合わせが相次いだ。私たちはその反響の大きさに驚いた。
 かつて明治期、長岡の山本ゴイ配下の瞽女さは四百余名にも及んだというが、戦後は生活様式の急変などによりその数は激減した。そして現在、瞽女さを記憶する世代は五十代以上となり、いま瞽女さの世界は忘れ去られようとしている。事実、「瞽女唄」の後継者として竹下玲子さん(無形文化財小林ハルさんの唯一の弟子)がその灯を受け継いでいるだけで、町や村をめぐる瞽女さは、すでにいない。しかしたとえば『はなれ瞽女おりん』や斎藤真一さん(画家)の『越後瞽女日記』(文化座公演)、鈴木昭英さん、山崎昇さん(共に郷土史家)の作物にみられるように、テレビ、ラジオなどマスコミ網のない昔、地方文化の伝播(でんぱ)者、宗教者として、また、娯楽や情報の提供者として、瞽女さは大きなはたらきをしていた。その有力集団がかつて長岡にあった。
 「地方の時代」というような掛け声がなされて久しいが、明治このかたの中央集権化は相変わらずで、地方的と思われる文化も一方的な中央吸いあげの後、異質な地方的扮飾(ふんしょく)をされ、投げかえされてくるふうである。そのことは岡本太郎さん(画家、大阪万博の太陽の塔作者)が、つとに指摘していることなのだが、いまもってその傾向は強い。私たちは演劇鑑賞活動をとおして私たちの街の文化土壌を豊かにしたいと願ってきた。この「瞽女シリーズ」もその一環である。
 単に忘れ去られようとしている「瞽女唄」を聴くというのではない。身ぢかにあった大きな文化集団が地域の人々の生活とどうかかわり、どういう意味を持っていたのか。マスメディアの時代、「群衆の中の孤独」というような人間関係の強まる現在、それを克服し、人と人との豊かな結びつきを復興し続けていくために、「瞽女さ」を掘り起こし、足元の文化と生活を知ることはその有効な手だてになろう、という思いである。この一連の企画へ多くの人が参加されることを、心楽しみにしたい。
(長岡市民劇場委員長)

「日刊ナガオカ」しなの川 1988.5.11より

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