この三回シリーズが、今回の瞽女唄に関連する連続講演会で予備知識を得たうえでの瞽女唄を聴くという、あまり聞いたことのない企画の全容を紹介するのに最もふさわしい記録である。珍しい企画ゆえに新聞でも多く取り上げられたが、インターネットへの転載は一切不可の新聞社があり残念であった。この「日刊ナガオカ」は長岡に密着した良い記事を多く掲載していた新聞社であったが、惜しいことに暫く以前になくなってしまった新聞社なので、この記事を基に本企画を紹介させて頂いている。
ただ、まだ少し後の話になるが、1991年瞽女唄ネットワーク発足関連の記事について「朝日新聞社」「読売新聞社」から快く無償での掲載許可を頂き、大変喜んでいるが、プライバシーの問題で、お名前のみでも記事に掲載されていれば、すべて転載許可を得なければならないとの事で、物故者も多い方々から許可を得られるか苦慮している。当然のことなのかも知れないが、当事者としては悩ましい課題である。その中、「朝日新聞社」には、我々の如き小団体にも関わらず、様々なご配慮とご面倒な調査まで快くお受けくださり、心から感謝申し上げる。(内容が文化活動についての非営利且つ公共性が高い記事であること、記事自体がかなり古いものであることのため、本来有償での転載となるところを格別の計らいで無償での転載を認めていただいております。)「十日町新聞社」「越後タイムス」は些末なことを言わず、快く転載許可を頂きました。
さて、閑話休題。今回は「瞽女唄」を聴く会・始末記の最終回である。
「瞽女唄」を聴く会・始末記(三)(鈴木紘一)
「この、竹下玲子さんの「瞽女唄」を聴く会は見附市にも飛び火した。見附市在住の長岡市民劇場の会員が、私たちの地域でもやりたいと名のり出たのだ。見附市図書館長の井口さん、森沢さん、見附青年会議所の富川ご夫婦、その他熱心な会員が見附図書館を会場にして、百五十名余の会員を集めて開催。竹下さんの凜(りん)とした、あるいは嫋々(じょうじょう)たる唄声に、また解説進行役の若林一郎さんの説明に、瞽女さを知るお年寄ははじめから目をシパシパ――五月二十日夜、会揚からの興奮気味の電話連絡を市民劇場の事務局で受け、私は胸が熱くなる思いであった。これこそが地域の文化活動なのだろうと思った。さまざまな場で、地域の人たちが自分の生活とかかわらせながら活動をする、そういう典型をみる思いであった。地域の文化活動は一面的であっては効少ない、というのが私の考えで、演劇鑑賞一本槍ではないスタイルをあれこれ模索してきたつもりだが、そのひとつのあらわれとして受けとっていいかなぁ、と喜んだ。
長岡会場は翌二十一日、会員制で会員券は七百円。中央公民館の大ホールを借りた。当初、中央図書館の講堂を予定したのだが、土躍日の夜、会員券(料金をとる)の解釈のちがいから難色を示され、かと言って全くのボランテイアゆえ会場費を捻出するわけにはいかず、事情を分かってもらえた公民館での公演となった参加は百六十名。ムシ暑い夜ではあったが、多くの市民が竹下さんの瞽女唄に酔い、早々目がしらをおさえるご老人もあられ、見附会場に劣らぬ熟気があった。「葛の葉子別れ」、「新保広大寺」等々、そして若林一郎さん作の「見るなの花座敷」、一時間半の時間はあっという間に過ぎた。お年寄の多くは唄が終わってももじもじと、帰りがてなのが印象的であった。
七百円の会費であっても財政はもちろん赤字。もち出しである。二回の講演会の謝礼、宿泊、交通、ギャラ(ほんの志程度だったのだが)、印刷、通信費―しかし実行委員のみんなはいい汗をかいた思いで満足だった。そして会場費がいらなかったことに胸をなでおろした。実際、スポンサーなど何もない市民の自発的な文化的催しでも、実にさまざまな経費がかさむから、参加者から何がしかの協力を得なければ出来るものではない。会費(料金)を取る催しの会には公共ホールは催すことはならぬ、などということであれば私たちのようにひ弱な催し、の発想はできないだろう。冠公演(企築が金を出し無料の催し)優先のような状況があれば市民の文化活動の芽はしぼむだろう―。私たちは実行委員で持ち出し分の身銭をきる覚悟ではあったが市民劇場の「はなれ瞽女おりん」とかかわることだから、という申し出で、救われることができた。
その「―おりん」、さまざまな相剰効果により、会員数は千七百五十名を超え、参加率も八五%をこえるという盛況であった。当日、この芝居だけ見たいと来られた方もあったが、会員制の組織なので事情をていねいに説明しておひきとりねがった分もあった。この公演、長岡で三百ステージ。ハネた後、キャスト(有馬稲子、松山政路主演)、スタッフともに、深夜の祝賀を開いたが、越後瞽女の本拠地長岡でのそれは、偶然とは言えやはり何かしらの因縁めいたものを、私は感じた。
(附)、その後いろいろな方から瞽女さに関する情報をいただいた。先日も東新町の目黒秀雄さん(ハーモニカ奏者)から二十五年前に吹きこんだ大久保カネさんの瞽女唄があるから提供したいとの電話があった。嬉しいことである。こんなふうにして地域の文化は広まり、伝播するのだなと思った。
(長岡市民劇場委員長)
「日刊ナガオカ」しなの川 1988.7.1より