少し長いが、また『瞽女唄伝承』(若林一郎著)から、小林ハルの声について引用させて頂く。
「ひとしきり唄い終えて、三味線の間奏にかかったとき、期せずして芦州さん[講談師・小金井芦州]と顔を見合わせていた。
「こりゃぁ、ほんものだねぇ」
「うん、たいしたもんだ、おどろいたよ」
老女はマイクをつけていない。それにもかかわらず、その声はまっすぐに会場の隅々まで届く。新潟なまりが耳慣れないところはあるが、力強くぐんぐんこちらを物語の世界にひきずりこんでいく。
あとで聞いたら、会場のドアを開けたら、その声は入り口の受付までまっしぐらに聞こえてきたという。
山内君[山内雅人]は、その声をレーザー光線にたとえたが、まさにそういう驚きを感じた。けれども、レーザー光線の人工の冷たさはまったくない。ひとを陶然とさせる伸びやかな張りがあり、ぬくもりのこもった美しい響きがある。それでいて、マイクを通した声のようなギンギン響くやかましさはちっともない。
おなじ舞台に乗った山内君のグループには、マスコミにも顔を出しているいっぱしのタレントもまじっていたのだが、彼らの声はこの老女とくらべたら、いっそあわれなほどだった。
マイクを使わないとその声はひょろひょろと会場のまんなかあたりで消えてしまう。一生懸命声をはりあげて、のどを涸らせてしまっているものもいる。聞いているだけで気持ちが悪くなるようなべたべたとした声もある。
考えてみれば、それはぼくたちが日常つきあっているテレビでおなじみの声なのだ。ホンモノとニセモノの差はあまりにも明らかだった。」
この公演を聴いた「こんにゃく座」の研究生に、瞽女唄を伝承することになった竹下玲子がいたのである。
竹下玲子は次のように語っていたという。
「あんまりフシギなんで、休憩のとき、一番前の席にいって聞いてみることにしたんですよね。そしたら、うるさいどころか、体全体をふわっと包みこまれるような声なんです。なんの努力もなしに、ことばのひとつひとつが、ストン、ストンと胸に伝わってくるんです」(同書より)
このときに竹下玲子はその生涯の目標にめぐりあったのだった。
この老女が〈越後瞽女最後の名人〉小林ハルさんだったのである。
他に、ウィキペディア「小林ハル」の項のハルの「唄」についての感想、意見など多くの記述がまとまっている。参考にお読みいただきたい。
ハルの手引き、山田シズ子。画家の木下晋。作家の下重暁子。NHK入局後一貫して視覚障害福祉に取り組んだ川野楠己。民俗学者の佐久間惇一。随筆家、白洲正子。最後の弟子の萱森直子。なお、生涯で三人もの師匠についたハルは、「同じ唄でも組織によって節や文句が微妙に異なり、ハツジサワの弟子となって三条から長岡に移った時には他の瞽女に合わせて唄ったり演奏するのに苦労した」とある。
また、瞽女唄ネットワーク会長の瞽女研究家の鈴木昭英によれば、小林ハルのような歌声を「鉄砲声」というのだと語られていたことを付記する。(上記[ ]内は引用者の註)