鈴木 時間が限られておりますので、私の質問に順番にお答えいただきます。
石永さん、長岡を舞台にして撮影されたきっかけをお聞かせください。
石永 長岡の駅前に覚張さんという小さな本屋さんがあり、長岡に来るたびに立ち寄ってはおばあちゃんとお話をしていたんです。その中で、水沢謙一さんの民話の本を紹介されたことがきっかけで、全部で20冊くらい買ったでしょうか。それを読みながら、本や活字だけでは昔話のイメージは伝わらない、小さい時に親などから聞かされた雰囲気というものを残しておかないとダメだという思いがあり、そのことを相談したら、おばあちゃんの紹介で、水沢先生にお会いできたんです。でも、「雪国の夜語り」の監修を快く引き受けては下さいませんでした。旅の人と仕事するのいやだよって言われたんです。その後、越後観光の広告部長の鶴田さんと二人でまた説得をしに行って、なんとか水沢先生の本をもとにして映像化する作業を始めることができました。長岡で撮影するきっかけはそういうことなんです。
鈴木 ご自身、脚本家でもいなさるので内容は十分練られたと思いますが、どういうものを目指しているか、目的は何かというところをお聞かせください。
石永 昔話というのは、本を読んだだけではダメで、一対一、相対(あいたい)でないと、昔話にならない。そういう思いが強かったものですから、とにかくお話の達人の方がご存命の内に、実際にどういう話の仕方をされるか、どういうふうに子供たちに言い聞かせているのかを映像でその姿をきちっと残しておく必要もあると思ったんです。それが目的です。
記録映画をやる者にとって、今ある姿がどういう形であるか、その形をそのまま引き継ぎ伝えていくこと、それが大きな目的です。それと同じような気持ちでした。
鈴木 次にお聞きしたいのは、この映画の中で、今は行われなくなってしまった年中行事、例えば小正月などのいろいろな行事を町内の人のご協力で再現していただいたわけですけど、私が提案したのか、あるいはそちらのほうから話があったのか、どうでしたでしょうか。
石永 民話の解説をする場合、その背景というのがどうしても必要なんです。その背景を作るのにどうしたらいいかということを、当時青年会議所理事長の故原信の社長さんに相談したら、民俗行事ってのはまだたくさんあるけど、実際には我々も見たことがないということで、そういった民俗行事を背景にして、民話の語られた状況というものを解説したらどうですかとアイデアをいただいたんです。そんなことがあって、当時博物館におられた鈴木先生に、原信一さんととにかく先生に一回お会いしようということで伺いました。そんなことで先生に無理やり年中行事を再現していただいたんです。
鈴木 映画にあった、民俗行事は、私が調査した限りでは、川西の方が早くすたれて、川東の方に幾分かは残っていましたが、それもほとんど戦中で終わってしまった。私が皆さんに紹介したいのは、「塞の神」です。木の枝を稲わらで巻いて、中に人が籠ることができる空間を作り、中に炉を切って神様を祭る。それは縄文時代の竪穴住居の形態を継いでいるんじゃないかと私は思っています。その中で神様の縁起といったものを語る場面が実際あって、昔話は、この神祭りの語りから出発しているのではないかと密かに推測しています。そんな思いもあり、私も関わらせていただいたわけです。