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新潟県の民話がいっぱい!「千石田(せんごくだ)の長者」

「千石田(せんごくだ)の長者」 mukasi


千石田(せんごくだ)の長者

上岩田 大久保ヨネ

 とんとん昔があったと。昔々あるどこへでっけえ川をかずいて(背にして)暮らしている貧乏な村があったと。大水がでるたびに水揚(あ)がりしるんだんが、
 「とてもほっげのとこへいらんね」
てがで一軒減(へ)り、二軒減りして順々(じゅんじゅん)村がさむしなったと。だあろも貧乏な家じゃあ遠いどこへ出てゆく金もねえし、とっつぁも死んだし、母親とせがれ二人で
 「水にさらわれても仕方(しかた)がない、残っている空(あ)き家へでも住(す)ましてもらうがんにしよう」
てがっで覚悟(かくご)を決めていたと。
 今年もまたたっぼがツブれてしもうて水をかぶってとこらぱっち(ところどころ)に残った稲(いね)を刈(か)ってワラを丁寧(ていねい)に干し上げて草履(ぞうり)やわらんじを作って売ることにしたと。畑仕事のあいまに二人してせっせと働いていっぺい(たくさん)できたんだんが、町へ持っていったらけっこういい値(ね)で売れたと。峠(とうげ)の茶屋(ちゃや)へ置くと、一里の二里もある峠で、たいがいの人がわらんじを履き替えていぐんだったと。ほうしてある日、おっかが
 「せがれせがれ、そっでもおれが習うて作った草履もいっぺい出来たし、これ町へ持っていって売ってきてくれや」
そう云うたと。ほうしると、せがれがでっかいてご(負いかご)の中へいっぱいわらんじと草履を詰(つ)めて
 「じゃあ、おっか、いってくるぜ」
と何里もある町まで道をせっせとあいんで行ったと。ほうして一軒の荒物屋(あらものや)へ入って、
 「草履を買うてもらえんろうか」
と頼んだと。ほうしると、店の衆は、
 「まあよかった、よかった。ちょうど草履が絶えてどこへ頼(たの)めばいいかと思っていたろこだすけみんなもらうぜ」
というて、ひとてこ(一籠(かご))いんな買うてもらうたと。
 「まあ、おっかがどっだけ喜ぶやら」
と思って店の衆に
 「休んでいがっしゃれ」
と云われたろも、日の暮れんうちに早く帰ろうと思って、
 「またお願いします」
というて、出かけたと。
 ほうして大川の土手まで来ると、子供がでっかい声で
 「半分にわけるか」
 「うん、そっでもいいし」
と云うてるてんがのう。何のことだろうと思ってのぞいてみると、きれいな見たこともないような魚を、真ん中に分ける相談だったと。魚はぴんぴんと跳(は)ねて苦しそうにしていたと。それを見たせがれは、かわいそうでたまらんで
 「お前達、その魚を売ってくれんかや」
そう云うたと。ほうしたら子供は
 「ああ、売ってやるぜ」
 「ほうか。じゃあこの銭(ぜん)はいんなやる」
そうゆうて今草履をこうてもろうた銭をみんなはたいてやったと。子供たちから魚をもろうてじゃぽんと川の中に放(はな)してやったと。ほうしたら見ることが出来ないほどうれしげにしっぽをふわりふわり動かして、泳(およ)いでいったと。
 「ああ、よかった。あの魚がいきたげら。さあ早く家に帰ろう」
と思ってせっせとあえんだと。ほうして家について
 「おっかあ今帰ったぜ」
と云うたら、おっかが
 「おお帰ったかや、帰ったかや。ご苦労(くろう)だったのし」
と喜んだと。ほうしたろも、銭がねえがっだんだんが、だあろもほんとのこと言わんけやならんしと思って
 「おっか、おら申し訳ないことをした」
というたと。おっかが
 「まあ銭落としたかや」
と青くなったと。
 「いいや、そうじゃないて」
 「じゃあ。どうしたや」
 「あののう。大川の土手で子供たちがきれいな魚を捕(つか)まえて。半分に切るとかなんとか云うていて、あんまりかわいそになっておっかの難儀(なんぎ)した銭をいんな子供たちにやって魚を大川へ放してやった」
そういうたら、おっかがかんかんに怒って、
 「何てお前もいい加減(かげん)なばかじゃないかえ。この貧乏なおらをわかっていると思えば、銭をやって魚をもろうて来たんならまだわかるろも、魚を川へ放してやったなんて、そっげなばかとは思わんかった」
とかっかに云われて、
 「申し訳ない、申し訳ない」
とせがれが謝(あやま)ったと。
 「お前のばかで今夜はごっつぉを作ってやろうと思ったろも、冷や飯にぞうせい(雑炊)ら」
とふたりは雑炊食ってその晩は寝たと。
 ほうして次ぐ日、せがれは山へいぐ、おっかは川へせんだくに行ったと。
ごしゃごしゃとあろうてるうちに、おっかは足を滑らして川の中へぼしゃんとおったと。
 「ああおおごっだ」
と大声をだすろも、誰もいない。
 「おごっだ。おごっだ」
と云いながら、どんどんどんどん流れて行ったと。
 「この先はもう淵(ふち)だ。もうだめら」
と思っていると、突然きれいな娘がひょいっとおっかを抱(だ)いてくれたと。だろもおっかはそんどき、気を失っていたと。ほうしてしばらくたって気がついて見たら、てめいの寝床(ねどこ)へ寝ているてんがね。
 「まあ、どうしたがっだろう。おれは川へ流れたがっだが」
とひょいと見たらいとしげな娘が
 「お母様楽になられましたか」
と手を突(つ)いておった。
 「よその家にゆるしもないのに、あげてもらって、済(す)まないと思いましたが、お許(ゆる)しください」
というたと。ほうしると、おっかあが、
 「ああそういえば、あの川へ流れてもう命がないと思ったとき、きれいな人に抱いてもらったのが、あなたでしたか」
 「はい」
と娘が云うと、おっかあが、
 「どこのどなたかわかりませんども、もうない命を助けてもらって、何とお礼をもうしてよいやら」
と涙(なみだ)を流したと。ほうして
 「どこのどなた様でいらっしゃるやら、せがれも帰ってきますので、お待ちください」
と止め申していたと。そのうちに、せがれが帰ってきて、おっかの命を助けて貰(も ら)った娘さんにどうろ(たくさん)お礼をいって、
 「どちらさまでいらっしゃるか、お送りする」
というと、
 「いいえ、私はこの大川の向(む)こうに住んでいる者ですけど、親に別れたみなしご、川上へ身寄(みよ)りでもあればとたずねようかと思って、出かけてきたところ、おかあさまの世話(せわ)をさせてください」
とせがれ親子にかえって頼まれたと。
 ほうしていてもろうたら、また働くが働くが、朝早くから飯(めし)の支度(したく)、掃除(そうじ)、洗濯(せんたく)、野良仕事(のらしごと)、おっかの方が気に入って気に入って
 「家の嫁になって貰えんだろうか」
と頼んで見たと。娘の方も快く、承知してくれてせがれの嫁になってもろうたと。千石田(せんごくだ)の長者
 ほうしてかわいい嫁御(よめご)と親子三人で貧乏ながら楽しい毎日だったと。嫁は昼間はせがれと田っぼ畑へ行ってきて、夜は縄(なわ)ないをするんだったと。あんまりよく働く嫁で村中の評判だったと。
 ほうしたある晩のことせがれが目をさましたら、そばへ嫁がいないんだと。どうしたろうと思うたら、土間(どま)の方でかすかにショリショリと縄をなう音がしるんだんが、そっといって見たうも、白い顔をうつむけて一生懸命で縄をなっているがんで、声をかけまいと思って戻ったろも、だあろも縄が山のように積んであるにはたまげたと。
 そのうちに夜があけて、いってみたら、山に積んであった縄がないてんがのう。
 「こらあどうしたこんだ」
と思って跳んで出てみたら、川原(かわら)へ縄をきちんと張って向こうへ嫁が跳んで行くのが見えたと。せがれはへえたまげてたまげて、
 「おい、おい」
と呼ぶろも、後も見ずに川へ跳んでいって
 「じゃぼん」
と川へ飛び込んだと。そうしてきれいな魚になって、泳いでいったと。
 「こういうことだったかえ、難儀(なんぎ)して縄をなっていたのは」
せがれはかわいそうで泣きながら、はりめぐらした広い場所を見つめて
 「でも、お前難儀をしてくれても、ここは石の川原でどうにもならんなあ」
というたと。
 そうしているうちに、遠くでゴロゴロと雷(かみなり)の音がし出して、せがれがやっと家に逃げ帰れた程の大雨になったと。ほうして}晩明けて、行ってみたら、見渡すかぎりの広い川原がすなとべとに埋められて、見るような立派な土地になっていたと。ほうしてここはみんな縄が張ってあったんだんが、せがれ達の土地になってしもうたと。助けた魚のおかげでおっかの命は助けられ、広い土地は自分の物になり、思いも寄(よ)らぬ千石(せんごく)長者になったと。いきがすぽんとさけた。


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