つぁつぁ(父)とかっか(母)がいて、子供がほしいと思うたろも、いっこう産(う)まんなかった。そのうちに男っ子が生まれたんだんが、喜んで、あれがほしいといってはあれ、これが欲しいといってはこれというてあつけてやった。だんだんその子はわがままになって、家の前にでっけいままができた。でっかなっても嫁も来てがなくて、親も死んで、自分の好きなようにしていたら、だんだん家が絶えてきた。ばくちしるどこへ来ちゃ、ばくちして、だんだん人も相手にしねようになった。歳(とし)とりの晩になって、てめえじゃ暗くなってきてもこめといで、ろくなごっつぉもしねえで、お膳(ぜん)も押しこくっていた。あかしもつけねでとことこ火たいていた。
ほうしたらガタ、ガタッとでっけえ音がして、でっこい人が、きったねきもん着て、てのこ(手拭い)かぶって立っていた。
「お前は何者だ」
「おれを知らんか」
「お前なんか知らねえよ」
「ここの家の貧乏の神だ。今日からおれの仲間になれ」
というて、はっこい(つめたい)手で男の顔をくるくるとなぜた。
「おらこにこっげ(こんな)の貧乏の神がいる。こっげの人がいるすけ、仕事したくねえ」
と男はやっと気がついた。
「こっだこの神をどうかして追い出さねけやならね」
というて、その晩は、どくに寝ねえで、竹の棒(ぼう)のうらへわらをつけて、そこらはきはねた。家の中をはきおこしているうちに、夜があけはねた。ほうしたら、また貧乏神がでてきて、
「きさま、俺の嫌(きら)いなことしるな。ほうせや俺も嫌いなことしらあ」
というて、男に小判(こばん)ガラガラと投げつけた。男は、松、竹のようにいつまでも、青々として、正気(しょうき)になってわがままにならんようにしょうと思うて、松、竹を飾った。それが門松のはじまりだと。
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