とんと昔があったげろ。侍の落人(おちうど)で、なるかみさんぞうという人がいたと。
戦争に敗けて宿なしになったんだんが、十月の神無月(かんなづき)の時に、出雲(いずも)の大社の縁の下に泊ったと。
ほうしたら、上の方で神様が、
「あれとこれ、あれとこれ」
というて縁結びしなさっていたと。一人の神様が、
「これでいんな終ったねか」
といわっしゃったと。ほうしたら、もう一人の神様が、
「まだこの下へ泊まっている男が残っているがの」
というんだんが、
「それはじゃ、どこへ相方(あいかた)がある」
と聞いたと。
「あの舟着き場へこのごろ女っ子が生まれたそうな」
と一人がいうと、
「そうか、それと結ぶか」
ともう一人の神様がいうて、なるかみさんぞうとその子の縁結びがきまったと。
その舟着(ふなつ)き場の家は、昔は、ごうぎな旦那様(だんなさま)だったろも、今は貧乏(びんぼう)して、だれもつきあいしていねえ家だったと。その神様の話を聞いて、
「あっつらんと俺を縁結びしようとしているが、困ったんだ」
とさんぞうは思うたと。
「ほうせばいっそのこと殺してしまえばいいねか」
と思うて、次の朝げ、舟着き場へいって見たと。日和(ひより)がいい時で、家の前のつぐらに入れてかわいげな女の子を外へ出していたと。そこへ、さんぞうは、手裏剣(しゅりけん)ぶって、自分じゃ後も見ねえで逃げてきたと。家の中じゃ、赤子が、
ごうぎに泣くんだんが、いってみたら、赤子に手裏剣ぶたれていたと。そこで薬じゃ医者じゃと大さぎして、その子は、やっと命拾いしたと。さんぞうは、後侮(こうかい)して
「人を殺して来てまで生きていたって、どうしょうもねえ。死んだ子のために坊主(ぼうず)になろう」
と思うて、東京のいいお寺に願うたと。そこの方丈様(ほうじょうさま)も、
「小僧(こぞう)もいねんだんが、弟子(でし)にでもなってくれ」
といわしゃったと。ほうして、さんぞうは、そこの弟子になり、だんだん時がたって出世したと。そのうちに方丈様が死んでしもうたんだんが、授戒(じゅかい)して、その寺のあとを継(つ)いだと。
三日して、壇徒(だんと)がいんなしてお参りに来たと。日暮れになって、いんなが家へ帰っても、きれいな女が一人残っているだと。次の日も次の日もやっぱり残っているがんだと。さんぞうも不思議に思うて、三日目になって
「お前は、毎日ぶらぶら寺へ残っているが、どういうわけら」
と聞いてみたと。ほうしたら、その女が、
「俺をお前さんのかかにしてもらいたい」
というがだと。さんぞうは、たまげたろも、ちょうどかかもなかったんだんが、
「じゃ、俺のかかになってくれるか」
というて、夫婦になったと。あったかくなって、二人して行水して、背中(せなか)流しこぐら(ながしっこ)したと。かかの背中に、ごうぎな刀傷(かたなきず)があったんだんが、
「なあ、このきずはなんのしたがだ」
と聞いたと。ほうしたら、かかが、
「おがまら小さくで、つぐらの中へ入っていた時、手裏剣ぶっていったがんがあるがんだと。そっでも、命拾いして、でっかなって、おいらんに持って出られて、女郎(じょろう)に売られたがんだ」
と話してきかしたと。さんぞうは「出雲の神様の縁結びの話」は、やっぱりほんとのがだ。と思うて、たまげたと。これでいきがすぽーんときれた。
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