とんと昔があったっつお。法末(小国町法末)の村に、むじなが住んでいたと。法末の衆が村へ買物に出ると、買うてくるがんが、ばかげにいい匂いがするんだんが、むじなは、人がこうてきたがんをいんな食おうと思うて、人を化かすがだと。
その日も、どこそこのあねさ化かしてしもうたと。法末の村じゃ、あねさがこねんだんが、村中の人が手分けして、
「あねさ、あねさ」
と一晩中捜(さが)したろも、いっこうめっからんかったと。山の奥まで入っていぐと、なじょんかごうぎな横穴(よこあな)があってそう、そこへ入ったあとがあるがだと。
むじなてや煙(けぶ)がいっち嫌いんがで、たいまつに火つけて横穴の中へ入っていったと。ほうしたら、奥の方で、ハクション、ハクションと音がしるんだんが、
「ここにいたに違(ちが)いねえじゃ」
というて、入った人もけぶいんだんが、穴から出て、穴のそばへいんなを集めたと。
ほうしたら、むじなは、村中の人を馬鹿にしてしもうて、法末の村を、ぱあーっとごうぎな火事にしてしもうたと。ほうしたんだんが、村中の人がたまげて
「こっげのむじななんていっていられるんだな」
というて、村の方へとんでいってみたと。だろも、火の粉一つなかったと。
「さあ、これはむじなに化かされたじゃ」
というて、また山へ出かけていったと。こんだ度胸(どきょう)きめて穴へ入っていったと。だろも、むじなは、村中の衆が逃げていったすきに、別の穴に逃げていって、どこにもいなかったと。
「これは困ったんだ」
というて、手わけして別の穴捜してみたら、いるげらんだんが、いんなをそこへ集めて頑張っていたと。ほうしたら、その穴から、お寺の坊様(ぼんさま)の風して、お経読みながら、人が出てくるたって、出てくるたって、いんな(みんな)気持が悪なったと。
「こっげのおっかねえことはねえ」
というて村の衆はいんな逃げてきて寝てしもうたと。だろもだっでもあさげまで眠らんなかったと。
つぐの朝げになって、村の衆は
「きんなのがんは、いったい何者というがだろう」
「きっと粉(こ)のふいた(悪賢(わるがしこ)い)むじなにちがえねえじゃ」
と話したと。そのまんまにしてもおかんねんだんが、また村中で捜していったと。こんだどこへいったこっだやらわけわからんで、別の穴捜してみたら、また別の穴にいたと。
「たしかにこの穴にいたげだ」
というんだんが、いってみたら。中から女の人の泣き声がしているがだと。
「こっだ何事があっても我慢(がまん)しょうぜ」
というて、一人が中へはいってあねさを出したと。あねさは、
「むじなはこの奥にいる」
というて、
「ここへ二晩とめてもろうたが、腹は減(へ)らんども、疲れて疲れて、どうしようもねえ」
と話すがだと。
「おめえ、なんの食っていままでいやったい」
と村の人が聞くと
「餅とそばばっか食っていたがの」
というんだんが、よく見たら、餅はかえるだったと。そばはめめず(ミミズ)だったと。あねさの体は、でっこくふくれて、顔はぼたもちのようになっていたと。一人が、たいまつつけて穴の奥まで入っていったら、むじなはけぶにまかれて死んでしもうていたと。村の人は、それをわっしょい、わっしょいとかずいてもって来て、むじな汁して村中で食ったと。なじょんか油があって、ごうぎ薬になったと。その肉食った子は、それからよつばり(寝小便(ねしょうべん))こかんなったと。それから、法末の村にむじなが絶えてしもうたと。これでいきがすぽーんとさけた。
■「越後の昔話 名人選」CD(全11枚)の頒布について■ |
|
越後の昔話名人選CD |
平成6年以来「語りつくし越後の昔話」と題して、瞽女唄ネットワークは新潟県下各地にお住いの名人級の語り手による昔話を聞く会を開催してきましたが、その録音テープを元に再編集したCDを販売しております。 優れた語り手による昔話は聞いて楽しいばかりでなく、民俗学的にも貴重な資料となっております。活字でしか接することが難しくなってきた昔話を、語り伝えられた土地の言葉でたっぷりとご堪能ください。 越後の昔話名人選CDの内容・お申込み方法は、こちらから |
この越後の昔話に関するご感想や類似した昔話をご記憶の方は、「お力添えのメール」で是非お聞かせください。