昔があったと。ある山ん中へ家が一けんあって、あんさが一人でくらしていたと。ある晩、若い娘が一人たずねてきて、
「わるいろも、こんや一晩とめてくんねか」
とあんさにたのんだと。
「おら一人で、家ん中もきったねろも、そっでもいいけや泊まったいいよ」
そういうて泊めてやったと。娘は喜んでとめてもろうて、朝げになると、
「おれ、ここの嫁にしてもろうんねろか」
というたと、あんさはきれいな娘らんなんが喜んで、
「なっじょも(どうぞ)おれの嫁んなってくれ」
そういうて二人は、夫婦になったと。
仲よくくらしているうちに、あっつい夏のさかりに男の子が生まれたと。あんさは喜んで「ひでる」という名前をつけたと。そのつぐの年になると、こっだ、そよそよと風の吹く日に、また男っ子が生まれたと。あんさ喜んで、こっだ「小風」という名前をつけたと。またつぐの年、こっだ、しゃっこい(冷たい)雨がふる日にまた男っ子が生まれたと。そこであんさは「村雨」という名前にしたと。ひでると小風と村雨と三人の子どもを、夫婦二人で大事に大事に育てたと。
ある日、昼寝(ひるね)ろきに子どもらが三人遊びから帰ってきて、かっか(母)の昼寝している部屋(へや)をのぞいてみたら、でっけいきつねが一匹寝てたったと、子どもらあたまげてでっけい声だしたんなんが、きつねもたまげてとびおきたうも、そんときゃちゃんとかっかの姿になっていたったと。そうしてかっかは
「つぁつぁ(父)、つぁつぁ、おらとうとうこどもに正体(しょうたい)みられてしもうたんなんが、ここのいえにゃいらんねすけ、山へ帰ろうと思うすけ、ひまくんねか」
とたのんだと。あんさもしかたがねんだんが、ゆるしたと。かっかは後ろ見い見い山へ帰っていったと。ひでると小風は
「かっかがいねー、かっかがいねー」
と泣(な)くし、村雨は腹(はら)が減(へ)ってきて、コアーコアーと泣くんなんが、あんさも困ってしもうて
「じゃこれからかっかんろこへつれていってやるこてや」
そういうて、ひでるをあいばせ(歩かせ)、小風の手をひいて背中へ村雨をぶて子守唄(こもりうた)をうとうていったと。前に村雨が乳(ちち)のましてもろうたろこへいってみると
「ひでるや小風や村雨や。ここらにかっかがいたならばでてきて乳をやってくれ。ソラソラソソラソラや」
とあやしながら山奥へはいっていったと。そうしると、山奥の方から
「クワーイ、クワーイ」
ときつねの鳴き声がして一匹のでっこいきつねがでてきたと。ひでると小風は
「おっかねー、おっかねー」
と泣いたと。あんさは
「かっかあ、その姿じゃ、こどもがおっかながるすけもとの姿になってくれや」
と頼(たの)んだと。そうしるときつねはこくんとうなずいて、くるっと一回まあると、きれいなあねさになって
「つぁつぁ、子どもをつれてきてくれたかい、さあさあ村雨や、こっちへきて、かっかあの乳いっぺいのんでくれや」
そういて、乳いっぺいのましてくれたんなんが、あんさは子どもをつれて家へ帰ったと。
あるろき三人の子どもたちは、
「かっかあはどうしているろう」
と心配になって、つぁつぁと四人で山おくへたずねていったと。前に村雨が乳のましてもろうたろこへいってみると、でっけいきつねが一匹(ぴき)死んでいたったと。あんさはその死骸(しがい)にとりすがって「かっかあ、よしてくった(ありがとう)、お前のおかげで、みてくれ、三人ともこっげりっぱに育ったいや」とおーい、おーいと泣いたと。それから四人でかっかあの死骸を家へ運んできて、りっぱな葬礼(そうれい)をだしてやったと。それからは子ども三人が力をあわせて働いたんなんが、その家はりっぱなくらしができるようになったと。いちが、スボーンとさけた。
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