これから簡単なものにならざるを得ないが、瞽女唄ネットワークが誕生した過程を記録しておきたい。題して「ネットワーク前史」。名前だけは立派だが内実の方の保証はできない。言い訳から始めるのは情けない話だが、次の理由による。
1.瞽女唄ネットワークが呱々の声を上げたのが、1991年(平成3年)4月21日。会員数43名で設立総会が開催された。ウィンドウズ95という粗悪品ながら驚異的な売り上げにより、それまでのワープロからパソコンへの転換をリードしたソフトの発売が1995年。それ以前の半ばエンベデッドシステムで各社データの互換性がほとんどなかったワープロで作成された文書は、ウィンドウズへの変換ソフトがない者にとって、フロッピーディスクというゴミの山となってしまった。
したがって、フロッピーの中に納まっていた前史に関するデータは灰燼と帰し、印刷された紙と手紙がわずかに残っているばかりである。そこからなんらかの前史の姿が朧にでも現われてくることを願っている。
2.新聞記事の転載をことわられたこと。当時、設立総会へ向けてのイベントや当地でも知るものが少なくなっていた瞽女についての記事を多くの新聞社が掲載してくれた。記事は単なるイベントの事を越えて、その背景まで調べあげ報道された貴重な記録が多くあった。ここに前史として記事の転載が許されれば、この内容も充実したものになると思うのだが、ほとんどの新聞社に断られた。インターネットでアクセスできる状態にするということは情報を垂れ流しているのと同じである。応分の使用料を払えばいいのだろうが、当会は財政も逼迫し、とてもそのような失費はできない。無償で転載を許可してくださった新聞社の方に心からお礼申し上げます。ネチケットの普及を願うものである。といいながら、紙名がどうしてもわからなかった記事、今は存在しないと思われる新聞社の記事、前史に必要な部分の「引用」はさせていただくつもりである。ごめんなさい。
私は、設立当初から最も若い会員の一人で、事務局員として使いッ走りをしていた関係上、若干の紙記録を持っている。それを元に分かる範囲でまとめてみたい。発起人の一人で今まで事務局長をしておられる高橋実氏はさらに多くの記録を持っておられると思うが(というより発信者と言った方が正しいですね)、氏は驚くべき広範な活動の、しかも要として今も活躍されている方で(ホームページ「高橋実の本棚」をご覧ください)、このような前史作成に時間を割いて頂くことは無理なのだが、氏が中学1年生から今も書き続けているという日記を基にまとめられたパソコン導入以後に作成された文書やまとめも重要なソースになっていることを付記しておきたい。後は竜頭蛇尾に終わらぬことを祈るのみである。先の事は分からない。