三条市の名誉市民である小林ハルさんは、明治33年1月24日、三条市三貫地新田(当時の南蒲原郡旭村大字三貫地新田)に生まれました。
しかし、間もなく病気のため失明し、5歳で瞽女の道を歩むこととなりました。
その後、福祉という言葉すらなかった時代において、光を失うという障がいを見事に克服しながら、以後現役を引退するまで、68年間もの長きにわたり、差別と偏見の激しい時流の中で、極限に追い込まれた生き方を続けました。
このような背景にあっても、室町時代からの日本の民俗芸能「瞽女唄」の担い手として唄い続け、その会得と伝播、後継者の育成に心血を注ぎました。
そして、それらの功績が認められ、昭和53年3月には文化庁から、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財の選択」に瞽女唄伝承者として認定されました。また、翌54年4月には、黄綬褒章を受章しました。
昭和56年10月11日には、入所先の養護盲老人ホーム「胎内やすらぎの家」において、皇太子・同妃殿下(現在の天皇・皇后両陛下)から、多年の苦労に対するねぎらいと、功労に対してのお褒めのお言葉を賜り、瞽女唄「葛の葉子別れ」を披露申し上げました。
また、平成12年1月24日の百歳の誕生日に、「長年にわたる瞽女唄の伝承・普及に努めた功績と高潔な人格に敬意を表し、あわせて長寿を賀す」として特別表彰を受け、翌12年9月6日には、三条市名誉市民の称号を贈られました。
ところで、小林ハルさんが広く日本中に知れわたったのは、この年1月28日の日本テレビ系の番組「知ってるつもり」に、瞽女として初めて出演したためでした。番組の中で見せたハルさんの、障がいを克服した不屈の精神力、自らの不自由さを忘れて他人に尽くす思いやり、深い心根の優しさが、人びとに大きな感動を与えたことは、周知の事実であります。特に、障がいのある人たちや若い人たちに大きな勇気と希望を与えてくれたと、福祉・教育関係者からの声を聞きました。
平成17年1月24日に迎えた満百五歳の誕生日は、ベッドに横たわりながら冗談口をたたくほど元気で、お祝いを受けていました。
しかし、寄る年波には勝てず、同年4月25日に、晩年を楽しく過ごした仲間たちや施設の方々に見送られながら、不帰の客となりました。
現在、小林ハルさんは「無量院春芳慈聲大姉(むりょういんしゅんぼうじしょうだいし)」の法名を贈られ、生涯のうちで最もやすらぎを覚えた胎内の地に、安らかに眠っています。
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