本文へスキップ

野嵜久次氏の所蔵資料「瞽女口説地震の身の上」17です。

瞽女口説地震の身の上 17data


「瞽女口説地震の身の上」17

瞽女口説地震の身の上17
金匱要略 傷寒論は
若い時分に習うたばかり
たまに取り出し復して見ても
闇の烏でわからぬゆえに
きかずさわらぬ薬の数を
たんと呑せて衣服を飾り
礼の多少で病気を使い
病家見舞も有卦無卦立てて
裏屋背戸屋は十日に一度
金になるのは毎日四、五度
されば医者衆の掟と言うは
銭や金にはかかわるまじく
人を救うが教えの本と
道のいましめ(守らぬ訳は)

前の頁(16)目次次の頁(18)

「瞽女口説地震の身の上」解説

三条地震と「瞽女口説地震の身の上」
文政11年(1828年)11月12日朝8時ころ、信濃川流域の長岡・三条・燕付近に、マグニチュード6.9の直下型地震が発生しました。震源は栄町芹山付近とされ、被害は信濃川に沿う長さ25キロに及ぶ楕円型の地域で、三条・燕・見附・今町・与板などはほとんど全壊しました。死者1,500人余、全半壊21,000軒余、火災で焼失した家1,200軒余という大きな地震でした。
三条の被害が最も激甚であったことから「三条地震」と呼ばれ、江戸では地震を速報したかわら版が発行されました。この瞽女口説は、この大地震の災害にかんがみて、社会、世相の頽廃ぶりを揶揄、批判したもので、加茂矢立(やたて)新田の里正・斎藤真幸が地震の翌年に書きつづり、瞽女口説として刊行しました。これが諸方に伝わり、手書きして歌い、口ずさむ者もありました。


情報に関するお問い合わせについて

この情報に関するお問い合わせは、「お力添えのメール」でお気軽にどうぞ。
「お問い合わせ内容」に瞽女口説地震の身の上についてと書いてから、ご用件をお書きください。


お勧め瞽女の本
ご購入 Amazon.co.jp







自動表示の宣伝

瞽女唄ネットワーク事務局

〒940-2145
新潟県長岡市青葉台2丁目
14-10 鈴木宏政方
電話 0258-46-8054

【ツイッター(おがた)】
@goze_kuzunoha