「巫女爺人形操りと瞽女唄」報告
小林ハル師匠から長岡瞽女唄を受け継ぐ越後瞽女唄葛の葉会が瞽女唄を披露。小千谷横町屋台人形巫女爺保存会および太郎丸巫女爺が巫女爺人形操りを上演しました。
日 時 平成29年12月3日(日)13時30分〜16時00分
会 場 新潟県立歴史博物館
主 催 新潟県立歴史博物館
出 演 越後瞽女唄・葛の葉会
小千谷横町屋台人形巫女爺保存会/太郎丸巫女爺保存会
演 目 ・ 解 説 | 出 演 者 |
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瞽女唄解説 鈴木昭英(瞽女唄ネットワーク会長) |
解説:鈴木昭英 瞽女唄解説 を聴く 11分45秒 mp3(10.7MB) |
門付け唄「岩室」 長岡瞽女(ごぜ)が中越地方を門付けするときに歌った専用の唄。三味線の弦(げん)をゆるめ、ジャンコジャンコジャンコと、低音で早めにして歌う。文句は、男女相愛の情を七七七五の口語文で表わす都々逸(どどいつ)風のもの。文句の中にイヨという合いの手が入るのでイヨ節という人もいた。門付瞽女を最後までつとめた金子セキ・中静ミサオさんは、民謡をこの曲節に合わせて門付けに歌うこともあった。 |
唄:横川恵子・金川真美子 岩室 を聴く 1分27秒 mp3(1.34MB) |
祭文松坂 佐倉惣五郎 子別れの段 佐倉惣五郎(宗五郎)は江戸前期の下総国佐倉領の伝説的義民。印旛郡(いんばのこおり)公津(こうづ)村の名主であるが、領主堀田上総介正信の悪税に苦しむ農民たちの総代として江戸に上り、将軍に直訴した。願いはかなったが捕えられ、領主の逆鱗(げきりん)に触れ、惣五郎夫婦は磔刑に、子供らは打ち首になった。芝居、歌舞伎、説経浄瑠璃、講談など幅広く取り上げられ、農村地帯を稼ぎ場とする越後瞽女も盛んに語った。 瞽女唄の物語は「船止めの段」から「子別れの段」へと続くが、今回語るのは後の段。直訴に上ったのは上岩村の惣五郎と滝沢村の六郎左ェ門。老中久世(くぜ)大和守へ駕籠訴(かごそ)したが、その罪で佐倉城下に奪(ば)い取られ、牢屋に入れられた。だが大久保彦左衛門がお情けで上野の寛永寺に預けられた。東照宮が師走の二十日に上野の寺に歳暮に来るので、その時に直訴することを決心し、寛永寺を忍び出て、妻や子供と最後の別れをするため、印旛をめざして急ぐのであった。 |
唄:室橋光枝 佐倉惣五郎(子別れの段) を聴く 28分42秒 mp3(26.2MB) |
新保広大寺 十日町市下条の新保広大寺と地元の土地争いがあり、訴訟に有利になるように和尚の悪口唄をはやらせた。 これが全国に広まり、上州の八木節、江戸の飴屋唄、津軽じょんがら節、北海道の道南くどき、越中古大神、鳥取貝がら節、中国の盆踊り唄まで広まり、民謡のルーツとなった。 |
唄:横川恵子 新保広大寺 を聴く 3分18秒 mp3(3.04MB) |
長岡甚句 長岡地方で歌われた盆踊り唄。甚句は越後五大民謡の一つ。古くは「甚九郎節」ともいわれた。長岡甚句には武家の間で歌われた御家中節と町や近郷で歌われたものとあったが、御家中節は明治以降廃絶した。 ・越後長岡柏の御紋、七万余石の城下町 ・お前さかえ左近の土手で、背中ぼんこにして豆の草取りゃる |
唄:金川真美子 長岡甚句 を聴く 2分11秒 mp3(2.02MB) |
発ち唄「伊勢音頭くずし」 伊勢音頭は、三重県伊勢地方で生まれた民謡の総称。宇治山田市の古市の盆踊り唄や川崎音頭、農村の祝儀唄が母胎といわれるが、古市の遊郭で歌われ、文化年間(1804−18)頃から有名になった。伊勢神宮に詣でた人たちのために神宮中心に歌われたものもあり、瞽女もよく歌った。旅の宿へ泊めてもらったお礼に「朝立ちの唄」として歌う瞽女が多くいた。 |
唄:須藤鈴子 伊勢音頭くずし を聴く 4分09秒 mp3(3.82MB) |