秋の瞽女唄公演は、無形文化財小林ハルの瞽女唄を継承した竹下玲子に学んだ「越後瞽女唄・葛の葉会」の年2回の定期公演の秋の部です。
今回紹介する瞽女唄は、平成25年10月27日に久々に「越後瞽女唄・葛の葉会」のメンバー4名がフル出演した、長岡の定宿・アトリウム長岡でのライブ収録です。会場いっぱいのお客様の前で祭文松坂「赤垣源蔵」いとまごいの段をめずらしく全段を交替で披露しました。
録音の関係で、最初に唄われた門付け唄「岩室」(唄:横川恵子・金川真美子)と「赤垣源蔵」いとまごいの段、一段目の冒頭部分が収録されておりません。申し訳ありませんでした。
この会の出演者は、室橋光枝・須藤鈴子・横川恵子・金川真美子です。
演 目 ・ 解 説 | 出 演 者 |
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祭文松坂「赤垣源蔵」いとまごいの段 赤垣源蔵は赤穂四十七士の一人、赤埴(あかはに)源蔵の芸能・文芸・巷説中の通称。赤埴源蔵は赤穂藩浅野家の馬廻りで200石。浅野内匠頭の刃傷事件後は江戸浜松町に住み、討入りの際は裏門組として活躍した。 「赤垣源蔵」は歌舞伎・講談で扱われ、「徳利の別れ」が有名。瞽女唄「赤垣源蔵」はそれを「いとまごいの段」として語る。源蔵は播州龍野の城主脇坂淡路の留守居役で300石の塩山伊佐エ門の弟で、幼いとき浅野内匠頭の家来赤垣源太夫へもらわれ、殿にもかわいがられた。しかし刃傷によって浅野家は断絶。源蔵は浪人となって江戸に住み、酒よ酒よの日を送る。吉良邸討入りの師走十四日、芝高輪泉岳寺の評定で今宵はかたきを討つゆえ思い思いにいとまごい。源蔵は兄の許へ酒機嫌でいとまごいに行ったが、兄は不在。仕方無く兄の普段着の紋付を拝借し、それを柱の釘に掛け、その前に酒、肴を借え、「兄上、いとまごいにいでました」と別れの挨拶をし、夕刻近くに降りしきる雪の中、急いで兄の家をあとにした。その夕べ、浅野内匠の家来衆四十余名が吉良の屋敷へ入り、めでたく殿の仇を討った。…後段は瞽女唄をじかにお聴きいただきたい。 「いとまごいの段」は全四段で構成。越後瞽女唄・葛の葉会のメンバー四人が一段ずつ語り継いでいく。 |
唄:室橋光枝 <一の段> を聴く 18分45秒 mp3(17.1MB) 唄:須藤鈴子 <二の段> を聴く 18分22秒 mp3(16.8MB) 唄:金川真美子 <三の段> を聴く 25分28秒 mp3(23.3MB) 唄:横川恵子 <四の段> を聴く 21分27秒 mp3(19.6MB) |
瞽女万歳「柱建て」 太夫と才蔵が連れ立ち、才蔵のいう駄酒落を太夫がたしなめ、おもしろおかしく当年の繁栄を祝うもの。江戸ではやった三河万歳の系統を引く。瞽女がよく歌ったのは、「経文」と「柱建て」。「春は万歳、夏は神楽」といわれる。年の始め、「春語り」などに語って、家の繁昌、商売繁昌を祈った。 |
唄:室橋光枝・須藤鈴子 瞽女万歳「柱建て」 を聴く 7分35秒 mp3(8.01MB) |