皆様初めまして、田上町の笠原清一郎です。
私は定年退職後、目の不自由なかたに少しでもお役に立ちたいと、点字の勉強をしましたが、その後、音声パソコンを覚えて何人かの視覚障害者の方たちにボランティアでサポートを続け、今はあわせてお年寄りの方や身体障害者を対象にしたパソコン教室を開いています。
そんな関係で、目の不自由な方たちには、大きな関心をもっていましたが、瞽女さん(特に三条市出身の小林ハルさん)に強く惹かれるものがあり、あちこちからいろいろな資料を集めて、少しずつ知識を得ております。
三条市(旧下田村)の奥にはなくなった母の実家があり、昔は小林ハルさんたちが訪れて、瞽女宿をお貸ししたことがあったということを聞いています。
そんなことから、小林ハルさんに関することをいろいろ知るたびに瞽女さんという人たちが何か非常に身近な存在に感じられ、今でも、いつでもその辺で瞽女さんたちに会えるような気がするくらいです。
昔、子供の頃は、瞽女さんと云う人たちは、「蔑まされた、ただ気の毒な女の人達の集団」という記憶しかなかったのです。が、知れば知るほど、日本の女性の文化芸術の記録に残さなければならない貴重な存在だったのだと分かって来ました。
その現実の姿は、いまはすでに見ることはできませんが、日本の女性の文化芸術記録に残さなければならない貴重な存在だったのだと分かって来ました。
その現実の姿は、いまは既にみることが出来ないことですが、それは写真やCDに残していただいて、せめて「瞽女唄」のほうは、いまはすでにみることはできませんが、いつまでも継承して行っていただけるよう、現在活躍中の皆様とこれからの若い人たちにお願いするばかりです。
先日の「瞽女妙音講」によせていただき、ありがとうございました。「瞽女唄ネットワーク」のますますのご発展をお祈りいたします。
出典:瞽女唄ネットワーク通信 54号 2010年7月8日発行