五月五日に両国門天ホールまで瞽女唄の公演に行ってきました。
新潟から東京まで新幹線で二時間ほどしか掛からず着きました。瞽女さんが瞽女宿を徒歩で回っていた時代には到底考えられないことでしよう。とても恵まれているなと考えると同時に、瞽女宿がなくなって、瞽女さんがいなくなったのもこの流れについていけなくなったなのだと思いました。
公演では私たち瞽女唄の他に「瞽女さんの歌が聞こえる」という三十分ほどの映画の上映と「人はなぜ旅をするのか〜日本文化と放浪の系譜」という題で林雅彦先生から講演があり、最後は映画の伊東喜雄監督も交えて座談会がおこなわれました。
会場は本来収容できる倍の人数が集まり少し窮屈そうでしたが、最後の座談会では物理的にも精神的にも観客と近く、終始和やかに語らうことができました。東京にも瞽女唄や旅芸への関心がある人が多くいるのだなととても嬉しく思いました。林先生は瞽女唄の直接の研究者ではなく絵解きなどが専門で、それを交えた日本の芸能についてお話しくださいました。
会場には伊東監督の紹介で目の見えない方々が数名いて、他の講演のときはたまたま近くに座っていました。今までそういった方々に触れる機会があまりなく、何となく名刺交換しているところを眺めていたのですが、一通り話し終えるとすぐにカバンから簡易の点字機を取り出し、相手の名前を打ち込んでいる姿に衝撃を受けました。
名刺に点字を打ったのはその人がたまたまマメだっただけかもしれません。ですがともかく名刺は彼らにとって、それだけで会った人物の名前を保管できる便利なものではないのです。いくら便利になり、機械がしやべりだし、こちらの音声を認識する時代になっても、瞽女さんたちのように目の見えない人たちには一定の不便さがあるとだと思いました。
その後見た伊東監督の映画は高校のときに一度見ていたのですが、先ほどのことを踏まえてみると瞽女の集団というのは、私たちが想像する以上に細やかで強い女性たちの集まりだったのでしょう。今よりもっと酷い状態の山道を越えて、雪が降ろうと足で県内を回っていたですから。
門天ホールからの帰り、行きには気づかなかった力士の姿をちらほら見つけました。稽古終わりでこれから食事へ向かうのか数名の力士が自転車に乗って移動しているのを見て、あの重さをよく自転車は耐えて前に進んでいるなと感心してしまいました。
瞽女唄も時代や人に乗られながら、あの自転車のようによろけず真っ直ぐ永く進んでいければいいなと思います。