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第15回春の瞽女唄公演(平成28 年6月26日)で上演された葛の葉会の瞽女唄が聴けます。

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第15回春の瞽女唄公演

瞽女唄ネットワーク結成25周年記念・第15回春の瞽女唄公演のライブ録音をお聴きください。無形文化財・故小林ハル師の瞽女唄継承グループ越後瞽女唄・葛の葉会が語ります。
■今回のメイン演目のご紹介
<貞心道行>
長岡藩士奥村五兵衛の娘マスは、17歳で魚沼郡小出島の医師関長温の許に嫁いだが、数年にして離別し、柏崎下宿(しもじゅく)の閻王寺(えんのうじ)で剃髪し、貞心と称した。前々より和歌の道を志していた貞心は、文政10年(1827)春3月、古志郡福島村の閻魔堂庵主におさまると、三島郡島崎村の能登屋木村家に寄宿する良寛様に早く会いたいという気持ちが高まる。…
<山椒太夫>
安寿姫と厨子王(津志王丸・対王丸)の哀話として知られる五説経の一つ。直江津湊で下女姥たけが海水に身を投じ、大蛇となって直江へ帰る山岡太夫を成敗するくだりがすさまじい。
■出演者は室橋光枝・須藤鈴子・横川恵子・金川真美子です。


「第15回春の瞽女唄公演」 瞽女唄一覧

演  目 ・ 解  説 出 演 者
小唄「夜桜や」
 小唄というと、普通は「江戸小唄」をさす。江戸末期に端唄(江戸端唄)が変化したもので、その音楽的特徴はテンポが早いこと、渋い声でつぶやくように歌うこと、三味線はバチを用いず爪弾き(つめびき)することなどである。総じて粋でシャレ気のあるのが特色。「夜桜や」は、吉原の夜桜を歌ったもので、後半に曲節のおもしろみがあり、江戸人好みの粋がうかがわれる。
唄:横川恵子
「夜桜や」 を聴く
2分06秒 mp3(1.92MB)
祭文松坂「山椒太夫」船別れの段(後段)
 「山椒太夫」(山荘太夫・山庄太夫)は説経節の曲名で、五説経の一つ。安寿姫と厨子王(津志王丸・対王丸)の哀話として知られる。操浄瑠璃、歌舞伎などでもたびたび上演された。
 永保元年(1081)、陸奥の領主岩城判官正氏は部下の陰謀があって筑紫に流された。内儀が2人の子供と下女を連れ、夫の行方を尋ねて旅にでる。その途中、越後直江津で人買いの山岡太夫にだまされ、母と下女は佐渡へ、子供2人は丹後由良湾の長者山椒太夫に売り渡される。酷使に耐えられず、姉の安寿は弟を逃げさせるが、自らは拷問されて死んでしまう。厨子王は丹後を逃げ出て京へ上り、一家没落の真相を朝廷に訴え、父正氏の潔白を証明して岩城家再興の念願を果たす。
 この物語の一部は、直江津湊における「船別れの段」として高田瞽女の間に語られてきた。今回は、杉本キクエ伝承の歌詞を、長岡瞽女の曲節で歌う。下女姥たけが海水に身を投じ、大蛇となって直江へ帰る山岡太夫を成敗するくだりがすさまじく、窮極の山場となる。
唄:須藤鈴子
船別れの段(後段) を聴く
19分33秒 mp3(17.9MB)
祭文松坂「佐倉惣五郎」子別れの段
 佐倉惣五郎(宗五郎)は江戸前期の下総国佐倉領の伝説的義民。印旛郡(いんばのこおり)公津(こうづ)村の名主であるが、領主堀田上総介正信の悪税に苦しむ農民たちの総代として江戸に上り、将軍に直訴した。願いはかなったが捕えられ、領主の逆鱗(げきりん)に触れ、惣五郎夫婦は磔刑に、子供らは打ち首になった。芝居、歌舞伎、説経浄瑠璃、講談など幅広く取り上げられ、農村地帯を稼ぎ場とする越後瞽女も盛んに語った。
 瞽女唄の物語は「船止めの段」から「子別れの段」へと続くが、今回語るのは後の段。直訴に上ったのは上岩村の惣五郎と滝沢村の六郎左ェ門。老中久世(くぜ)大和守へ駕籠訴(かごそ)したが、その罪で佐倉城下に奪(ば)い取られ、牢屋に入れられた。だが大久保彦左衛門がお情けで上野の寛永寺に預けられた。東照宮が師走の二十日に上野の寺に歳暮に来るので、その時に直訴することを決心し、寛永寺を忍び出て、妻や子供と最後の別れをするため、印旛をめざして急ぐのであった。
唄:室橋光枝
子別れの段 を聴く
28分18秒 mp3(25.9MB)
新作瞽女唄 祭文松坂「貞心道行」
 長岡藩士奥村五兵衛の娘マスは、17歳で魚沼郡小出島の医師関長温の許に嫁いだが、数年にして離別し、柏崎下宿(しもじゅく)の閻王寺(えんのうじ)で剃髪し、貞心と称した。前々より和歌の道を志していた貞心は、文政10年(1827)春3月、古志郡福島村の閻魔堂庵主におさまると、三島郡島崎村の能登屋木村家に寄宿する良寛様に早く会いたいという気持ちが高まる。早速、大川(信濃川)を渡り、塩入(しおのり)峠を越えて島崎をおとなうが、良寛は不在。歌一首を残し、自作の手まりを添えて帰った。秋になって戻られた良寛から、おいで下さいとの便りが届く。喜び勇んで出かけ、ようやく対面がかなう。それより歌を詠み合っての師弟の深い交遊が始まる。だが良寛はすでに高齢。4年後に74歳の生涯を閉じる。急な知らせを受け、急いで島崎に馳せ参じ、枕元にたたずんで、その最期を看取った。
 良寛亡きあと、貞心はなお福島にとどまり、良寛歌集の編集を思い立ち、良寛の歌を尋ね歩いて集め、自らと師が詠み交わした歌を添え、「蓮の露」1巻を完成させた。
 この新作の段物「貞心道行」は、「福島町貞心尼思慕会」(会長 鈴木昭英)が平成7年11月に福島大欅の下で貞心尼史跡としての閻魔堂を復元して再建したが、平成27年がそれから20年になるので、貞心尼に関する学術講演と瞽女唄公演による記念大会を催したが、その折に創作、上演した語りである。作詞は田辺昭成(てるしげ)。鈴木昭英が「福島町貞心尼思慕会」の立場から、詞章について相談していくぶんかの調整をした。
唄:金川真美子
貞心道行 一の段 を聴く
12分19秒 mp3(11.2MB)

唄:横川恵子
貞心道行 二の段 を聴く
14分42秒 mp3(13.4MB)

 


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