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長岡開府四百年記念イベント「伝統ある瞽女唄を次の世代に」実録

瞽女唄gozeuta

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■長岡開府四百年記念イベント 平成30年1月20日(土)

 「伝統ある瞽女唄を次の世代に」
   〜日本一の瞽女集団だった長岡瞽女〜

瞽女唄公演のご報告

瞽女のお祭り「妙音講」の流れをなぞらえながら、瞽女唄の魅力をご紹介します。
イベントの全てを通して聞くこともできます。(司会は大貫もと。開会挨拶は瞽女唄ネットワーク会長鈴木昭英、閉会挨拶は高橋実です。)

伝え伝わる瞽女唄の心

日時 平成30年1月20日(土)
   午後1時30分(開演)
会場 アオーレ長岡 市民交流ホールA
内容 御条目奉誦 唯敬寺住職三条正憲
   瞽女御本尊 弁天様へ瞽女唄奉納
         桜づくし
      (横川恵子・金川真美子)
   門付け唄  岩室くずし
      (室橋光枝・須藤鈴子)
   瞽女万歳  柱立て(恵和めぐみキッズランド園児と金川真美子)
   祭文松坂  赤垣源蔵(室橋)
         赤垣源蔵(須藤)
   発ち唄   伊勢音頭くずし

イベントの全てを通しで聞く


出演:越後瞽女唄・葛の葉会/唯敬寺住職/恵和めぐみキッズランド園児/前田剣豪会社中
主催:瞽女唄ネットワーク  後援:株式会社 エヌ・シィ・ティ

■以下の、催しについての解説を読みながら、ゆっくりと瞽女唄をお楽しみください。

アオーレの瞽女イベントに観客百七十五人

 1月20日、アオーレの「伝え伝わる瞽女唄の心―伝統ある瞽女唄を次の世代に―」のイベントに観客175人というたくさんの参加でした。当日は午前9時から舞台造り、リハーサルをしました。
午後1時半より、アオーレ市民交流センターにて中央に横断幕、その下瞽女の守り本尊「弁天様」の写真を飾り、妙音講の形式にのっとって進行されました。

プログラムは

  1. 開会の挨拶
  2. 三条住職による「御条目奉誦」
  3. 京唄「桜づくし」横川恵子。金川真美子
  4. 門付け唄「岩室くずし」須藤鈴子、この時前田剣豪社中の皆さんが6人で瞽女姿をして舞台の前を歩きました。
  5. 「三河万歳」金川真美子 この時恵和めぐみキッズランドの園児9人も才蔵役で出演し、会場から大きな拍手が沸きました。
  6. 「祭文松坂 赤垣源蔵」室橋光枝。須藤鈴子
  7. 民謡替え歌「伊勢音頭くずし」室橋光枝・須藤鈴子・横川恵子・金川真美子
  8. 閉会挨拶
終了は3時30分。

 終ったあとのアンケートには次のようなものがありました。

  • とても素敵な歌を聴くことができた
  • 日本独自の良さを伝えてください
  • 昔の文句が難しい
  • 衣装を着た姿に当時を思い出し、涙が出ました
  • 伊勢音頭がよかった
  • 葛の葉・山椒大夫が聴きたい
  • とても楽しかった
  • 三河万歳のキッズがよかった
  • 全体の構成がよかった
  • 昔子どもの頃を思い出した
  • 活動の場が広がることを願う
  • 大変感動し清々しい気分になりました
  • 生きるために歌っていた歌がこれほど胸にしみるとは思わなかった
  •  なお会場入り口のホワイエには会長所有の昔の瞽女姿の写真パネルを張り、新しく作った瞽女唄公演の幟も立てられました。
    この様子は長岡ケーブルテレビで撮影され、過日その一部が放映されましたが、3月にはイベント全体が長く放映の予定といいます。

    前田剣豪社中の皆様

    ■子どもたちと万歳を唄う   金川真美子

     一月二十日に行われた妙音講で、私は恵和めぐみキッズランドという保育園に通う子どもたちと一緒に「万歳」を歌いました。「万歳」は太夫と才蔵という二人の掛け合いを歌にしたものです。子どもたちにはボケの才蔵をやってもらい、私がツッコミの太夫をやりました。 子どもたちに歌を教えに行く前に立てた最初の計画では曲を半分ほど削る予定でした。意外と長い曲で、歌詞も今の子どもたちに馴染みのない言葉を使っているため、一ヵ月半では憶えきれないだろうと考えたのです。

     十二月に入って保育園に初めて行きました。才蔵になってくれたのは保育園に通う九人。男の子五人、女の子四人の年長さんたちでした。元気な子たちだと聞いていたので、歌の練習は少し退屈してしまうのではと危惧していました。しかし練習と遊びをしっかり区別のできる子たちで、一度目の練習は問題なく終えることが出来ました。このぶんなら何度か練習に行けば大丈夫だろう。次回までに今日歌った中で好きな部分を聞いて、その部分だけ歌えればいいだろう。そう考えて一度目の練習を終えました。そのため二度目に保育園に行ったときにはとても驚きました。私が考えているよりも子どもたちの能力は高く、すでに才蔵の部分を歌えるようになっていたのです。楽しそうに歌う姿に子どもたちのがんばりはもちろん、保育園の先生もとても尽力してくださったのだろうと感じました。園の先生に聞いてみると「子どもたちが『はぁこらこいしないの?』と聞いてくるので一日に一度はみんなで歌ってたんですよ」といわれました。それを聞いてとても嬉しく感じるとともに、凄いことだなと思いました。私が小学生で瞽女唄を習っていたころ、こんなことがありました。

     「葛の葉子別れ」という曲で「畜生といえどもわしが身は」というフレーズがあります。これは「狐という畜生であっても私は」という意味です。しかし小学生だった私は「『ちくしょう』と言えどもわしが身は」だと思って歌っていました。譜面があっても音で憶えていたし、畜生という言葉になじみがなかったので、後でしっかりと歌詞を見たときは驚きました。今回教えた子たちも同じように歌詞の意味がわからなかったでしょう。

     それでも楽しいと感じたのは曲のメロディや言葉の音の流れが心地よがったからだと思います。それはとても凄いことです。

     瞽女は旅芸人です。それぞれがそれぞれの場所を回り、色々な唄を歌っています。今資料として残っている唄はそのうちの一握りです。そうして残っている曲はそれを聴くお客さんはもちろん、歌う人にも歌っていて気持ちいいなにかがあって残っている。園の先生のはなしや、子どもたちの楽しく歌う姿からそう感じずにはいられませんでした。そうして何度か練習をするうちに曲を削らず全て歌うことになり、いつのまにか九人全員にソロパートが出来ていました。子どもたちに「一部だけソロがいいか全部みんなで歌いたいか」と聞いたら「ソロがいい!歌える!」とみんなが言ったので驚きました。「ソロがいい」ということはそれだけ自信があり、自分の声を聞いてもらいたいと思っているからです。九人もいれば色々な性格の子がいます。元気な子がいれば大人しい子もいます。それでもソロのパートになるとみんなで歌っていたとき以上に大きな声を出して堂々と歌う姿に、保育園に行く前の不安は全部杞憂だったなと感じました。本番当日は子どもたちの心配はありませんでした。それより「桜づくし」という自分の演目を失敗しないかの方が心配でした。幸い「桜づくし」は「万歳」より前の演目だったので「万歳」は何の気負いもなく、楽しく子どもたちと掛け合いすることが出来ました。

     子どもたちは本番に強く、今までで一番大きな声で堂々と歌いあげ、お客さんからの大きな拍手をいただきました。ただ曲の「ようした ようした才蔵」という一区切りとなった部分でも拍手をいただいたので、子どもたちは「お客さん終わったと思って間違って拍手してた」と言ったのには笑ってしまいました。

     今回教えた子どもたちがこの先何かのきっかけで瞽女の何かと関わったときに、知識や経験として役に立てば嬉しいなと思います。

    恵和めぐみキッズランドの園児

    万歳(歌詞)

    〈太夫〉めでたいところの御万歳 鶴よ亀よお知行重ねて
        おん徳若には ご万歳とは君に栄えておわします
        あいきょうありけるあら玉の 年とるその日のあしたには
        水も若やぐ 木の芽も咲く
        きんそう公は 玉のかんむり こうべにめし
        ばくやのうったるつるぎはき ゆずり葉をば口にふくませ
        五葉の松おばおん手にもち まことにおめでと喉らいける
        まずはこれより 柱立ておばなさりける 柱立ての見事さは
        一本の柱をば いちぶつ薬師いずみの金銀 使えど尽きせぬお守り神
        二本の柱をば 仁王権現 錦の巻物 切れど尽きせぬお守り神
        三本の柱をば 山王権現 酒は泉で 飲めど尽きせぬお守り神
        四本の柱をば しめし四天の士農工商 子孫繋昌のお守り神
        五本の柱をば 牛頭天王 五穀成就 食べれど尽きせぬお守り神
        まずはここらで才蔵が番だ
        いいとも才蔵やってくれ こら 才蔵がやるのはどうでもいいぞ
        しっかりはやせやどうでもいい
    〈才蔵〉ハァーこらこい こらこいてば やれこらこい
    〈太夫〉やれこらこいてば どうじゃいな
    〈才蔵〉どうじゃいどころか聞いてくれ
    〈太夫〉聞くともなんともやってくれ
    〈才蔵〉とんと隣の藤兵エが たんだ一つのすり鉢を こら いつの間にやら借りてって
        一日にとりに行ったれば ついもないこと言てくるなとそうこいた こら
        二日にとりに行ったれば ふっつりやらんととそうこいた こら
        三日にとりに行ったれば 見もせぬこと言うてくるなととそうこいた こら
        四日にとりに行ったれば 用事のないのになぜまた来たやととそうこいた こら
        五日にとりに行ったれば いつ俺借りたとそうこいた こら
        六日にとりに行ったれば 無理を言ううなととそうこいた こら
        七日にとりに行ったれば なんでもないのになぜまた来たやとそうこいた こら
        八日にとりに行ったれば 薬師如来の命日で 今日はやれんとそうこいた こら
        九日にとりに行ったれば ここではやれんとそうこいた こら
        十日にとりに行ったれば とんでもないこと言うてくるなとそうこいた こら
        才蔵なんぞは あんまりたまげて つっつらつうとつんぬげたと言うたが
        さぁさ これから太夫さんの番だ
    〈太夫〉はあ才蔵 よした よした才蔵
        六本の柱をば 六地蔵が 禄を重ねておわします
        七本の柱をば 七福神が宝を積んでおわします
        八本の柱をば 初瀬の観音 神にとりては八百ばんずい 爽婦妹闘のお守り神
        九本の柱をば 熊野の権現 倉にはお荷物 出舟入り舟お守り神
        まずはここらで才蔵が番だ
        ああいいとも才蔵やってくれ こら
        才蔵がやるのはどうでもいいぞ しっかりはやせやどうでもいい
    〈才蔵〉はぁ こらこい こらこいてば やれこらこい
        才蔵なんざぁ しゃべくり出したらとめどがない こら
        あぶくたった煮いたった おろしごろなら食いごろだ
        今年しゃ豊年だ こら 豊年だてば 万作だ 何がまた豊年だ
        兄の田が千刈りで こら かかの田が千刈りで 二千刈りの作で
        かまの前の三助なんざは 三日月なりの鎌持って
        いっちゃ寄せ五把っぱ 五把よせ三十把
        八海ぬから妙高山 富士の山のすっぺらぺんのてっぺんまで
        サァサ 積み上げたというたが 太夫さんの番だ
    〈太夫〉はあ才蔵 よした よした才蔵
        十本の柱をば 十羅刹が充分 子種を授け賜いける
        十一本や十二本 十二の薬師十二か月の悪魔を祓い
        十三本や十四本 三十六本 千本あまりの柱おば きりりしゃんと立て並べ
        昔古人の建てたる家なれば 雨は降れども雨もりゃせぬ
        日は照れども干割れはせず 風は吹けども宝風
        沖を通は大鯛に小鯛 酒の精にお皿が千枚だ
        にしんからりん数の子 かまくらえびの五万の長者
        上には鶴 下には亀 目出たいところのご万歳

     

    高橋実のつれづれ感想

     新しい年が明けて、雪がどっと降り、それとともに気温がぐっと下がってあちこちで水道管が破裂して、大騒ぎとなっている。旧市内の雪も1メートルを超えた。長岡の市内道路は踏み固められた雪で穴ぼこだらけ。
     1月9日 笠井県議の紹介で鈴木会長、佐藤康夫氏、室橋光枝さん、と高橋で磯田長岡市長にお会いした。磯田市長も瞽女唄を初めて聞くといって、即興で室橋さんが葛の葉子別れの一説を市長室で歌った。1月20日当日は長岡市長は姿を見せなかったが、長岡の瞽女唄を知ってもらういい機会となった。
     長岡開府四百年記念のイベントの一つで大きな瞽女イベントが終った。瞽女唄公演でこれだけの人が集まったのは初めてであろう。特に万歳で恵和キッズランドの子どもたちの参加はありがたかった。また前田剣豪会社中の皆さんの瞽女姿での出演はかっての瞽女の旅姿を思い出させる結果となった。スタッフの皆さんも午前中から準備していただいてありがたかった。心から御礼申し上げたい。大成功だった。これを機会に瞽女唄への一般市民の関心が高まることを期待したい。願わくは語りの殿堂長岡を宣伝するため「長岡語りの館」ともいうべき場所が欲しい。そこに行くと長岡の民話や瞽女唄がいつでも聞けるといった施設が欲しい。

    瞽女唄ネットワーク通信 第70号(2018年2月15日発行)の編集後記より

     

    妙音講とは

     「長岡瞽女」は、かつて中越地方一帯から下越地方の南部にかけて、分散、居住していた瞽女の仲間集団です。組織の本部支配所が長岡にあったので、そのように呼ばれていました。明治の中ごろには、400人以上の瞽女がおり、日本最大の瞽女集団を形成しました。
    その長岡瞽女の瞽女頭・山本ゴイの住まいである大工町の「瞽女屋敷」で毎年旧暦3月7日、新暦になって4月17日に瞽女本尊弁才天を祭る妙音講が毎年開かれていました。たとえ、遠くに旅に出ていようと、前日までには帰ってきて、この妙音講に参加することが義務づけられていました。その儀式を「瞽女唄ネットワーク」が主催して、平成8年5月、唯敬寺を会場に50年ぶりに再現し復活して以降、毎年行われています。

     当日は、部屋部屋を開け放ち、みんなが参集するなか、山本家菩提寺の唯敬寺の住職を招いて仏壇にお経を上げてもらい、そのあと、「瞽女御条目」を誦んでもらいます。瞽女はみな頭をさげて聞いたものです。
    「瞽女御条目」は、瞽女仲間に伝えられてきた巻物。瞽女の元祖は嵯峨天皇の皇女相模宮姫だとする瞽女縁起や瞽女の守るべき規約、掟などを書いた式目(条目)が書かれています。(三条ご住職の朗々とした、当時をしのばせる厳かな御条目朗誦を是非お聴きください。)


     瞽女屋の妙音講では、唯敬寺御住職が瞽女頭山本ゴイを祭る仏壇にお経をあげてお参りし、そのあと山本ゴイとオモダチ(重立)の師匠たち4〜5人が紋付を着て、三味線を揃えて京唄(地唄)の長唄ものの「桜づくし」と「行く春」の2曲を弁天様に奉納しました。昼のお斎のあと、若い瞽女達が自慢の唄を歌って競いました。唯敬寺を会場にして復活した妙音講は「桜づくし」を奉納しています。この曲は江戸前期の地唄(上方唄・京唄)の演奏家・作曲家で長唄の創始者として江戸で活躍した佐山検校(−1694)の元禄時代の作品です。
     妙音講が桜の花の咲く頃行われたので、この曲が選ばれたようです。桜づくめの文句で、多様多彩な桜の名前がたくさん出てくるめでたい唄です。

     

    公演会当日配布された資料はこちらからご覧いただけます。


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